私は30代独身男。
ドラえもんに関する知識は人並み以下。子供の頃、テレビでそれなりに観た程度です。
そんなドラえもん初心者な私が、ドラえもん映画がアマプラで全て視聴可能になったのを期に全作品を観て感想を残します。
1日1作品、一ヶ月半かけて時系列順で視聴しました。
知識が浅い状態で観始めたこともあり、後になるほど知識と思い入れが増えます。
最初はテキトーに観ていたくせに、中盤あたりで「やはりF先生のセンスはやはり特別だ」とか知ったようなことを言い出し、ときには個人的評価の推移を示すグラフやオリジナルの大長編シナリオが挿入されます(笑
作品を観続けて感想が変化していく様子もお楽しみください。
時期の区切りは大ざっぱに、
・大山ドラ前期
・大山ドラ中期
・大山ドラ後期
・わさドラ
としています。
もくじ
- 1 大山ドラ前期
- 2 大山ドラ中期
- 3 大山ドラ後期
- 4 わさドラ
- 4.1 ドラえもん のび太の恐竜2006:2006年
- 4.2 ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~:2007年
- 4.3 ドラえもん のび太と緑の巨人伝:2008年
- 4.4 ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史:2009年
- 4.5 ドラえもん のび太の人魚大海戦:2010年
- 4.6 ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団:2011年
- 4.7 ドラえもん のび太と奇跡の島 アニマルアドベンチャー:2012年
- 4.8 ドラえもん のび太のひみつ道具博物館:2013年
- 4.9 ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~:2014年
- 4.10 ドラえもん のび太の宇宙英雄記:2015年
- 4.11 ドラえもん 新・のび太の日本誕生:2016年
- 4.12 ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険:2017年
- 4.13 ドラえもん のび太の宝島:2018年
- 5 まとめ
- 6 追記
大山ドラ前期
ドラえもん のび太の恐竜:1980年
■あらすじ
のび太は偶然、首長竜の卵の化石を発掘する。タイムふろしきで卵を孵化させてピー助と名付けて育てるが、次第に大きくなるピー助が現代で生きるのは困難だった。のび太はピー助の幸せを願い白亜紀の世界へ帰してやることにした。
タイトルが直球だ。「のび太の恐竜」て。
王道のハートフルな話。
ドラえもん映画1作目にして出会い、友情、冒険、戦い、別れと、ドラえもん映画の基本プロットが完成している。
この頃の作画良いな。しずかちゃんが可愛い。
「鼻でスパゲッティを食え」
今ならたぶんアウトな表現が面白い※。
まず食べ物を粗末にしてるし、子供がマネしたら危ないし。
※リメイク版(2006年)にも鼻スパゲッティはしっかり登場する。しかも表現がよりエグくなっている。
タイムトラベル後にタイムマシンが壊れ、絶望的状況に陥るのび太達。
なんとか修理するが場所転送機能が使えず、時速80kmのタケコプターでアメリカから日本へ移動するハメになった。
小学生なのにめちゃくちゃハードな旅だ。
しかも傭兵部隊をラジコンで引きつけて敵のタイムマシンを奪う、ハードな作戦を実行する。
細かいことを言うと、ティラノはブロントサウルスのようなデカい相手を狙わない。死肉だけ食っていた説が有力。
あとピーちゃんの声が可愛くないのが気になる。
ジャイアン達のむちゃぶり度:★★★★
旅のハードさ:★★★★
評価:81/100
ドラえもん のび太の宇宙開拓史:1981年
■あらすじ
コーヤコーヤ星の少年・ロップルのワープ事故により、のび太の部屋とロップルの宇宙船が繋がった。のび太はドラえもんと一緒にコーヤコーヤ星に行き、住民と仲良くなる。しかし資源の独占を企むガルタイト鉱業が、コーヤコーヤ星から開拓住民を追い出そうとしていた。ロップルたちの生活を守るため、のび太達はガルタイト鉱業に立ち向かう。
タイトルから「冒頭の少年は地球文明の祖先で、のび太はその末裔だから記憶が宿っている」と思ったら全然違った。
ロップル君の故郷はコーヤコーヤ星。
1回聞いたら絶対忘れない名前だ。2回繰り返すのが面白い名前をつけるコツかもしれない。ブーログブーログ。
冒頭のロップル君は、メカデザイン・大河原邦男の妙にガンダム風な宇宙船に乗っており時代を感じる。
コーヤコーヤの住民を立ち退かせるため嫌がらせをするガルタイト鉱業のせいで事故ってしまうロップル君。
ガルタイト鉱業のこんな横暴許されていいのか?
やり方が戦後のアウトローだ。
とはいえ、今も大企業の下請けが犯罪スレスレなことをやってるからリアルな気はする。例えばNHKとか、NHKとか、NHKとか。
地球では中学生が空き地を占拠しており、ジャイアン&スネ夫はのび太に「お前が交渉してこい!」と陰湿なイジメを行う。こちらもアウトローだ。
さすがのジャイアンも中学生には頭が上がらないのか。情けないぞジャイアン。
中学生は有り余るパワーで周辺住宅の窓ガラスを全部割ってしまい、怒られて自然解決。
それ以前に騒音が迷惑だからボール遊びは河川敷でやってくれ。
地球でイジメにあうのび太は、コーヤコーヤでは用心棒として活躍する。
コーヤコーヤは地球より重力が弱い。そのため、のび太ですらスーパーマンのように強くなる。
のび太は射撃の達人。「身体能力+射撃の腕+ひみつ道具」でもう最強である。射撃の威力なんて重力とはあまり関係無いけど気にしない。
地球に帰ったとき、重力が弱い場所にいた影響でのび太がより弱くなりそうで心配だ。
しずかちゃんも活躍し、のび太・ドラえもん、ジャイアン・スネ夫の2組を仲介する。
しずかちゃんも野球やるんだな。一番運動量多そうな外野を守っている。「いくわよっ!」
全体的には、前後の作品と比べてテンポが良い。
主な舞台を異星にしつつ、主役はのび太側を維持したのも良かった。
シリーズ通して見ると、映画2作目でのび太活躍回を持ってきたのも良かったなと。「映画では格好いいのび太」を定着させた。
とはいえ、この先しばらくのび太はサポート役に回るのだった。
のび太の活躍度:★★★★
中学生の強さ:★★★★
評価:83/100
ドラえもん のび太の大魔境:1982年
■あらすじ
春休み、のび太は胸躍るような大冒険を求めて秘境探しをする。アフリカの秘境を探し出したのび太は、みんなと野良犬・ペコを引き連れて冒険に出かける。
主役はジャイアン。
強さの中に弱さを見せ最後は勇気を振り絞って戦う、感情移入しやすいキャラになった。
この頃のスネ夫はジャイアンに敬語。明らかな上下関係がある。
出来杉君は本作から本格的に出来杉君になったらしい。
ドラえもんも知らないことを知っており、「ヘビー・スモーカーズ・フォレスト」をドラえもんとのび太に解説する。
とにかくお風呂に入りたいしずかちゃんも活躍。
やはり男だけの集団には出ない知恵がある。男3/女1/ロボ1/ゲスト(動物)1の構成はバランスが良い。
序盤、人類がまだ手を付けていない場所を求めて、自家用人工衛星でグーグルマップみたいな写真を取りまくるのび太&ドラえもん。
アフリカの魔境を発見し、なんだかんだで5人合流して出発。
5人は秘境の先で親切な原住民に会ってもてなしを受ける。
話のわかる原住民でよかった。下手したら惨殺されそう。
この5人、普通の小学生なのに毎回死にかけいるな。
さらに奥地へ進むとなんと犬が国を作り、謎科学力で空飛ぶ戦艦まで作っていた!
最後は死を覚悟して戦場へ向かう5人+1匹。
絶体絶命のそのとき、しずかちゃんの機転で状況を打破。
この方法はむちゃくちゃすぎるのではないか?
以下ネタバレ。
しずかちゃんは先取り約束機で「もし無事に帰れたらきっと過去にさかのぼって助けにくる」と保険をかける。
しかし無事に帰れたら助けは必要ないし、助からなければ無意味だ。どちらにしろ意味がわからない。
たぶんしずかちゃんが言いたかったのは「後で未来から私達を助けに戻るから助けて」だろう。
自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。
それはともかく、巨神像がいい動きしてるわ。
終わってみると、犬王国に行ってからはドラえもん達がサポート役でしかないのが物足りない。
訳あって自慢の道具も使えず、ドラえもん色が薄い。
後にドラえもん映画はのび太側が異世界へゲスト出演するのがテンプレになる。片鱗がはっきり見えた作品。
命がけ度:★★★★
しずかちゃんの有能度:★★★★
評価:76/100
ドラえもん のび太の海底鬼岩城:1983年
■あらすじ
のび太たちは太平洋の海底でキャンプをすることにした。テキオー灯と水中バギーで海底世界を楽しむのび太たちは偶然、海底国家ムー連邦のエルに出会う。地上世界に海底世界を知られたくないムー連邦の首相はのび太たちを拘束し監禁してしまう。
潜水艇が降下しながらタイトルが出る、怪獣映画のような入り方がカッコ良い。
おどろおどろしさは控えめで明るい作風。
宿題が終わるまでキャンプに行けなくなったのび太。
机に向かうも秒で寝てしまい、バケツで水をぶっかけられる仕打ちを受けてかわいそう。
宿題なんて徹夜で終わらせても学力的には意味ねーだろ、とのび母に言いたい。
なんだかんだで親の了承を取り冒険に出発。
このときドラえもんが妙に信頼厚いのが笑う。
冒険に出発した後もとにかく昼寝がしたいのび太。そりゃ徹夜してるから当然だ。
隙あらば昼寝しようと提案するが仲間に無視される。かわいそう。
ひみつ道具「AI搭載水陸潜両用バギー」が登場し、バギーの自己犠牲が感動を生む。
しかしこのバギー、何のためにお喋りなAIを積んでるのか謎。
運転するのはドラえもんだし、ドラえもんと同時代のAIにしてはカタコト。しずかちゃんにデレるスケベAI。
乗り物AIなんだからまずは人命救助を最優先すべきだろうに、ジャイアンとスネ夫は見殺しかよ。
このレベルのAIなら記憶データを転送すれば生き残れるような気がするが…
「ポセイドン=核ミサイル自動報復システム」は冷戦時代の影響を感じる設定だ。
進化論に文明批判。大陸棚や深海魚など図鑑のように知識を詰め込んだ、子供の知的好奇心を刺激しまくる作品に仕上がっている。
ところで、なんで海で松茸食べてるんだろう。海で山の幸はおかしくね?
ドラえもんの信頼度:★★★★
バギーの主人公感:★★★★★
評価:78/100
ドラえもん のび太の魔界大冒険:1984年
■あらすじ
のび太達はひみつ道具で魔法の使える世界に来た。しかしのび太は魔法世界でも落ちこぼれなので落胆してしまう。そんなとき、ドラえもんたちは魔学博士の満月とその娘美夜子に出会い、悪魔達が地球制服を企んでいることを知る。
ドラえもんのひみつ道具と、魔法の区別がつかないのが面白いところ。
おそらく、
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」(クラークの法則)
から着想した話だと考えられる。
のび太が魔法世界でも落ちこぼれなのは笑う。チンカラホイ!
前半が時間ループの伏線だったり、途中にノーマルエンドがあったりする。これがSFっぽくて面白い。
後半は宇宙を旅して…と盛りだくさん。
この辺りのドラえもん映画から、いつもの「ドラえもん」の中にどこか怖さがあるシリアスな雰囲気が出始める。
本作の石像や魔王、でっかい心臓の描写がやたら怖い。
ドラえもんとのび太の喧嘩が可愛いすぎ。
「じゃあ一緒に来てくれよぉ~」「行ってあげるぅ~」って、この2人もう付き合ってるだろ。
あとはしずかちゃんのパンチラが激しい。
出来杉君が本当に博識なのがわかる。
パラレル世界の解釈について考えると頭こんがらがってくるし、ドラミちゃんが急に出てくるし、中盤ちょっとグダって中だるみした感はある。あとメジューサが行方不明。
でもエンディングの「風のマジカル」(歌:小泉今日子)が良曲だから終わりよければ全てよし。
2人の喧嘩にキュンとくる度:★★★★★
ドラミちゃんの有能度:★★★★★
評価:85/100
ドラえもん のび太の宇宙小戦争:1985年
■あらすじ
特撮映画を作っていたのび太たちは、ミニチュアサイズの少年・パピと出会う。パピは独裁者の手に落ちたピリカ星から亡命してきたピリカ星大統領だった。パピを守ることを誓うドラえもんたち。しかし、小さくなっている間にスモールライトを奪われ、しずかちゃんを人質に取らてしまう。
宇宙小戦争と書いて「リトルスターウォーズ」と読む。
「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」は1983年公開。
そのオマージュ要素の他、色んなSF映画の影響が見てとれる。
「宇宙大戦争」(1959年公開)にかけて小戦争。ニクいタイトルだ。
ポスターは生頼範義氏が描いたスターウォーズのポスターみたいで格好いい。
内容は、前作のシリアス路線からお気楽ムードに戻している。
なんせ相手はミニチュアサイズで相応に武器も弱い。これなら地球が侵略されることはない。よかったよかった。
とはいえ、スモールライトで小さくなったドラえもん達は銃殺刑の危機なのでやはり命がけだ。
スネ夫の財力を使ったミニチュアで自作映画を撮るジャイアン・スネ夫組。
ラジコンはスネ夫が手作業で作ったもの。ジャイアンは何もしてないのにエラそう。
のび太も参加しているが、タイトル入り前にさっそくミスってクビになってしまう。
その後、のび太のかわりに出来杉君がスネ夫チームに参加。
圧倒的に出来る男なので完璧な映像が仕上がってしまう。
一方、クビにされて悔しいのび太は独自に撮影を目論む。
出来杉君を取られたので仕方なくしずかちゃんに相談し、しずかちゃんを仲間に引き入れることに成功する。
しかし、しずかちゃんは絵に描いたような生粋の女の子。自慢のぬいぐるみコレクションが活躍するメルヘンな映画を撮ろうとする。
このしずかちゃん映画がめちゃくちゃつまんなそうで笑う。
「なんか思ってたんとちゃう」状況になりのび太のテンションが下がっていくが…
ところで、しずかちゃんってなんでこんなムサい男友達とつるんでるんだろう。オタサーの姫みたいになってるじゃないか。女友達いないのかな?
しずかちゃんのサービスシーンがある。
夢だった牛乳風呂に入っており、全裸の後ろ姿が拝める。
この年齢のキャラでこのシーンは今ならアウトだろう。
誘拐されるときはしっかり服を着ている。
逃げる前に服、体を乾かす前に服、とにもかくにも服が最優先だ。
後半の、しずか・スネ夫の組み合わせは珍しい。
しずかちゃんが有能。それに比べてスネ夫ときたら情けない。
でもスネ夫は技術で勝負。
敵はスネ夫が作った宇宙最強の戦車(ラジコン)に恐れおののく。
スネ夫戦車を鹵獲して分解するも装甲に一切の弱点が見つからず、仕方なくアンテナを狙うことにした。恐るべし、スネ夫の製作技術。
本作からスネ夫のラジコン操縦テク、天才メカニックとしての地位が確立したらしい。
そんなスネ夫も活躍しつつ、全体的にはしずかちゃん活躍回。
ちょっと気が抜けた作風で気軽に観れる。
シリアスな「魔界大冒険」の後なのでいったん休憩といったところか。
しずかちゃんのサービスシーン:★★★★★
スネ夫の製作技術:★★★★★
評価:77/100
ドラえもん のび太と鉄人兵団:1986年
■あらすじ
のび太は、どこからか送られてくる巨大ロボットの部品を鏡面世界で組み立てる。完成したロボットで遊んでいるうち、ロボットに兵器が組み込まれていることを知ったのび太達はロボットの存在を秘密にすることを誓う。しかしのび太は謎の少女リルルにロボットのことを話してしまう。リルルは地球征服を企む鉄人兵団のスパイだった。
「なんだいあんなちっちゃなロボット、ちっともうらやましくなんか…うらやましいぃ~!」
いきなり大ボケをかましてつかみはバッチリなのび太。
そんなのび太に「頭でも冷やしてこい」といわれ、言われたとおり北極に行ってしまうドラえもんがかわいそう。
百式みたいな巨大ラジコンをゲットして爽快に動かしまくる話かと思いきや、ポスターからは想像もできないハード路線だった。
ディアゴスティーニのような組み立て式巨大ロボ「ザンダクロス」完成後、楽しいムードはすぐ一変する。
偶然、しずかちゃんが内蔵武器を発射してしまい「そんなつもりじゃなかったのっ」と乗り込んだ3人はドン引き。
ザンダクロスは、ロボット惑星メカトピアが地球侵略のために送り込んだ尖兵だったのだ!
ちなみにザンダクロスのモチーフは本当に百式らしい。
敵の戦力は強大。鏡の世界がなければ人類はあっさり奴隷化されていただろう。
俺も鏡の世界に行きたいわ。あらゆる道具の中で「入りこみ鏡」が一番欲しいかも。
鏡の中のように左右反転した世界で人間・動物がいない。一方、肉などの食品はあるし電気水道も機能している。俺のような引きこもりにとっての理想郷じゃないか。
スパイロボとわかっていながらもリルルを撃てないのび太は、リルルに「意気地なし!」と言われてしまう。でもそれがのび太なんだよな。
原作では、のび太とリルルの恋愛感情を中心にしたボーイミーツガールな話らしい。
映画では親子向けにするためか、リルルとしずかちゃんの友情要素が強め。リルルとの別れに立ち会ったのもしずかちゃんだけ。
そのせいでリルルがのび太だけに姿を見せるラストの意味がわからなくなっている。
とはいえラストシーンの美しさはドラえもん映画の中でも随一だと思う。
敵として対峙するロボット惑星メカトピアは、ロボットを人間より高次の存在として人間を奴隷にしようとする。
メカトピアは人間とロボットが共存する地球(22世紀)の映し鏡のような存在といえる。
つまり仕掛けとして使われる「鏡」がさり気なくメインテーマにもかかっている。
笑いどころあり、スリルあり、感動ありの凝ったシナリオ。
ドラえもん映画の質感が変わってきた。
しずかちゃんの有能度:★★★★★
リルルの萌え度:★★★★★
評価:87/100
ドラえもん のび太と竜の騎士:1987年
■あらすじ
のび太は山のような0点答案を隠す場所を探すうち、地底にある大空洞を発見する。みんなを誘って大空洞を秘密の遊び場にするが、スネ夫が行方不明になってしまう。そこでドラえもん達は地底探検に出発。地底の奥には白亜紀の森が広がっていた。
冒頭でのび太は「恐竜が今でも生き残っている」と言い張り、ジャイアンとスネ夫に笑い者にされてしまう。
ご丁寧に「ドラえもんの力で過去から連れてくるのは無しだぜ」まで言ってくるスネ夫。
しずかちゃんだけは「のび太さんってロマンチストね」と良いように言ってくれる。
ほんと、ドラえもん映画の癒やしはしずかちゃんだわ。作品を連続して観るとよくわかる。
その後、のび太は積もりに積もった0点の答案をなんとか隠そうとする。
「捨てるとか焼くとかしちゃったら」「いっそ裏山に埋めちゃったら」
とロクでもない提案を連発するドラえもんがのび太の教育諦めムードで笑う。
どこでもドアで南極にでも捨てれば良いような気がするけど、そういう野暮な突っ込みはやめておこう。
答案を隠す場所を探すうち、なんやかんやで大空洞を発見。
ここなら隠し放題だと全くテストの点を上げる気がないのび太。
それからいつものメンバーを誘い、大空洞にそれぞれの部屋を作る。
みんなを誘ったら答案を発見されて本末転倒じゃないか?
みたいな突っ込みもいったん忘れよう。
しずかちゃんってピアノはちゃんと習ってるけどバイオリンは下手なのね。
大空洞がめちゃ広いので、スネ夫以外の4人はバギーに乗ってレースを始めてしまう。
もう何がなんだかわからなくなってきたところでスネ夫が行方不明に。
スネ夫を探して地底に潜り、竜の騎士に出会うが…
実はタイトルの「竜の騎士」はあまり重要ではない。
恐竜が生き残り、地底文明を築いていたって話。竜の騎士は本筋と関係ない。
「マントルまで100kmあるからその間に別の世界があってもおかしくない」らしい。
たしかに飛行機の高度でも10000m(10km)程度であることを考えれば、100kmも下に潜れば別世界があってもおかしくない…いや、絶対おかしいが夢はある。
この地底文明、馬に乗って戦うのでナポレオン時代程度の文明かと思いきやリニアモーターカーが走っている。
地上より高度なのか?と思えば、船形の巨大タイムマシンまで登場。
文明レベルがチグハグすぎる。
地底人は過去を変えるというより、地上から追放された原因を知りたい欲求で動いている。
そのため恐竜絶滅の原因がどうしようもないことだと知ってあっさり過去改変を諦める。
タイムマシンで地上人のいない時代に行き、子孫を繁栄させることもできたはずなのに。
このように、一貫して悪役がいない作品。
地底人も今はそう言っているけど、野心を持った奴が現れて地上を攻めるんじゃないか?
タイムマシンまで実現させた超科学力だから「地上人より優れた自分たちが地底に押し込められるのはおかしい」と不満が出て当然だ。
そんな一抹の不安を覚える。
答案の伏線を回収するオチは秀逸。
他、細かい見どころは、
・「プン!」とヤキモチを焼くしずかちゃん
・暑すぎてしずかちゃんの前で全裸になってしまう2人
・風雲ドラえもん城
タイトル関係ねー度:★★★★
しずかちゃんへのセクハラ度:★★★★★
評価:82/100
ドラえもん のび太のパラレル西遊記:1988年
■あらすじ
小学校で西遊記の劇をやることになったのび太は端役にされる。悟空役をやりたくて悔しいのび太は「悟空は実在する。自分に似ているはず」と言い、タイムマシンで7世紀のシルクロードへ向かう。なんとそこにはのび太そっくりの悟空がいた。
「ドラえもーん!」がタイトル入りのお約束になってて笑う。
西遊記をなぞるだけかと思いきや、意外とひねりの効いた展開。
冒頭、またしてもワケのわからないことを言い出すのび太。
「孫悟空は実際にいる!」しかも「自分と似ているはず」だという。
もはやただの願望じゃないか。
「のび太の恐竜」のように、恐竜が生き残っていると言い張るのはまだわかる。恐竜がいた事実はあるから。
対して今回のは無茶苦茶だ。白を黒というようなもの。
でも7世紀の中国に孫悟空はいた!
しかものび太とそっくりではないか。
ネタバレすると、時間差で後の自分に出会う「魔界大冒険」と同じ仕掛けが使われている。
やはり因果関係が謎だ。前作「竜の騎士」の聖域も同様。
もうタイムパラドックスや因果関係について突っ込むのもやめよう。この世界ではそうなっていると思うしかない。
ドラえもんはのび太と遊ぶために「ヒーローマシン」を用意し、あらかじめ一通り遊ぶ。2人の仲の良さがうかがえる。
それにしても、またとんでもない道具を出してくれたな。ゲームフィールドをオープンにしっ放しはダメだろ。
ヒーローマシンが原因で現代が改変されてしまう。
この改変後の世界がめちゃ怖い。子供にとってはトラウマもの。
あまりの惨状にドラえもんの迷言「危険が危ない!」が飛び出す。
怖さが強烈な分、現状をなんとかしなければならない動機づけが強いので冒険にも身が入る。
現代の惨状を目の当たりにしたのび太達は再びシルクロードに戻り、ゲームから出てきた化物と戦う。
今回のドラえもんは「頭の勝負は任せてよ」と妙に頼もしい。
ひょうたんに吸い込まれても「僕が溶けるわけないでしょ。22世紀の猫型ロボットですよ」と余裕。
魔物はヒーローマシンに戻せばOKなので倒す必要はなく、暴力的な描写がないのは秀逸。
途中色々ありつつ最後はあっさり気味。
ドラミちゃんが菩薩として登場する。
唐突にドラミちゃんが登場して問題解決する展開はドラえもん映画で賛否が分かれる点だけど、今回は気が利いている。
ドラミちゃんはドラえもん映画の菩薩様みたいな存在だし、黄色さが菩薩のイメージと被るので必然性がある。
ドラミちゃんに対して、やっぱりドラえもんはちょっとポンコツだな。
今回は頭の勝負と圧倒的な耐久性で活躍するけど、そもそも今回の事件はゲームをクローズし忘れたドラえもんが原因なわけで。
のび太とポンコツコンビだから面白い話になるわけだ。
最後は珍しくのび太とのび母の絆が描かれており、ほっこりできる。
他見どころは、
・全編通してマザコンが目立つスネ夫
・中盤、無意味に挿入されるしずかちゃんのサービスシーン
ついに胸まで映ってしまった。
のび太の発想ぶっ飛び度:★★★★★
ドラえもんの頼もしさ:★★★★
評価:88/100
大山ドラ中期
ドラえもん のび太の日本誕生:1989年
■あらすじ
叱られてばかりでウンザリしたのび太は家出を決心する。ひみつ道具で部屋は確保したが置く場所がない。その後、ドラえもん達4人も現代に嫌気が差し、のび太を含めた5人はまだ土地が誰のものでもない「太古の日本」へ行くことにした。自由な生活を満喫していったん現代へ戻った一同は原始人の少年と遭遇する。その少年は現代へ飛ばされる前、謎の集団から襲撃を受けていたという。太古の世界を守るため、ドラえもん達は太古の中国大陸へ出発する。
「のび太の宝島」(2018年)まで観客動員数シリーズ史上最高だった大ヒット作。
記録を2018年に更新した、世代を超えたドラえもん人気にも驚く。
冒頭、のび太は家出を決心する。
しかし土地は個人か国のものなので自由に使える場所がない。
観客の子供に土地の権利という大事なことを教えてくれる。
裏山に建てたキャンピングカプセルの建物を、通告なしでいきなりショベルカーでぶっ壊されそうになるのは笑う。その後のび太がどうやって逃げたのかが気になる。
太古の日本に行ったドラえもんは「自由な生活といえばペットだろ」ってことで、のび太をペット大臣にしてクローニングエッグで3匹の動物を作らせる。
調子に乗ったのび太は「これであっといわせてやろう」と遺伝子アンプルを組み合わせて勝手にキメラみたいな動物を作ってしまう。
結果、ペガサスの「ペガ」、グリフィンの「グリ」、ドラゴンの「ドラコ」が誕生。
のび太は明らかに生命倫理の一線を超えてしまった。
そもそもこんなひみつ道具があるのが問題ともいえる。
ちなみに、3匹は最終的にタイムパトロールに没収される。
勝手にオリジナル動物を作ったことはお咎めなし。怒られるどころか犯罪者逮捕に協力したので感謝される。
その後、中国大陸へ出発したドラゾンビ様(ドラえもん)達を待ち受ける謎のハニワ。
コイツが衝撃派で攻撃してきてめちゃ怖い。
ドラえもん達はハニワを分析し、大ボス・ギガゾンビの存在に気づく。
そしてギガゾンビを追うが、生身で時速380kmで走る上に曲がれない危険すぎる道具「リニアモーターカーごっこ」のせいで体力が無いのび太は1人はぐれてしまう。
しずかちゃんより体力無いのはさすがに情けないぞのび太。
遭難したのび太が「こないだ残したラーメンのおつゆ飲めば良かったなぁ」と言って幻を観るシーンから、寒さや感覚が麻痺して本気で死にかけていることがわかる。
ジャイアン達も今までのように投げやりではなく、「探さなかったら死んじゃうだろぉ~」「のび太が死んじゃうなんてぇ~」と本気でのび太を心配。
このような真に迫る描写と強い大ボスの登場により、以前の作品以上の大作感がある。
ドラえもん映画が一段高いステージに昇った印象だ。
ところで、ギガゾンビの歴史改変は罪なのにドラえもん達の歴史改変は許されるのは謎。
リニアモーターカーごっこの危険度:★★★★★
タイムパトロールの無能さ:★★★★
評価:95/100
ドラえもん のび太とアニマル惑星:1990年
■あらすじ
ある夜、のび太はピンクのもやを抜けて見知らぬ森に迷い込む。翌日、寝ぼけたのび太は部屋の前に現れたもやの中に再び入り、昨日の体験が夢ではなかったことを確信する。後を追ってきたドラえもんともやの向こう側を探検するうち、2人は犬の少年・チッポに出会う。そしてこの世界が「アニマル星」であることを知る。一方、ジャイアンとスネ夫はもやの中から荒廃した世界に辿り着いてしまう。
「アニマル惑星」と書いてアニマルプラネットと読む。
可愛いタイトル絵に反して、環境破壊という重いテーマを扱う。
公開された1990年はバブル期でゴルフ場などを開発しまくっていた時期。
そんな背景もあり、藤子F先生は作品を通して人間社会を痛烈に批判している。
例えば劇中で裏山がゴルフ場にされかけており、のび母がそれを防ごうとしている。
自然を破壊し動物の生態を脅かす宇宙人「ニムゲ」は、どう見てもただの人間。
「(ご先祖様は)科学技術が発達してたんでちょっと良い気になってやりすぎた上に世界がボロボロになったのはマズかったけどよぉ」といかにもな台詞がある。
タイトル絵の猫耳ドラえもんにつられて軽いノリで観たら、重いテーマと後述する「もやのトラウマ」を背負わされてしまう作品だ。
冒頭の「ドラえもーん!」からのび太がムチャをやらかして大事件になる今までのパターンとは違う。
いつの間にかピンクのもやに入り込んでしまうのび太。
これを観て「子供のとき観てトラウマになった作品はこれだ!」とようやく思い出を消化できた。
このピンクのもやだけはずっと覚えている。
自宅に発生してるのが怖すぎ。演出も異様なまでに不気味。
子供がこれ観たらトイレ行けなくなるわ。
もやを通ったジャイアンたちは、のび太の行き先とは違う荒廃した場所に出て不気味さがよりブーストされる。
このように、もやの不気味さが強烈すぎるので、その後の展開で覚えているのは3割ぐらい。
覚えている範囲で特筆すべきは、
・「動物ごっこぼうし」で猫耳復活したドラえもん
動物ごっこぼうしが各キャラに応じた動物の特徴を加え、立ち回りの幅を広げている。
これにより、みんながタケコプターや空気砲など同じ道具で戦うパターンのマンネリ打破に成功。
・のび太の活躍
敵陣に乗り込み人質を救出、時間ギリギリに脱出。ハリウッドアクション映画ばりの救出劇を見せてくれる。
ここまでドラえもん映画10作の中で、のび太が過去最高に格好いい。
のび太はいざというときにはやる男。危機に瀕したとき潜在能力を発揮する男。
そんな印象を受ける。
のび太が救出役に選ばれた理由は「ツキの月」を使うと運がない人ほどツキまくるから。
いやいや、のび太に無いのは運ではなく努力でしょとツッコミたくなる。
総じていうと名作。
ただ環境問題のテーマが鼻について、どうもスッキリ観れない。
「ゴジラvsモスラ」と同じで、1990年代前半特有の上から目線、説明的な台詞に押し付けがましさがある。
たしかに裏山をゴルフ場にするのはマズいと思うが、のび母がすっかり環境保護活動に染まっており「世界には恵まれない人達が~」まで言い出すから引く。
2020年現在、逆に日本が恵まれない国になりつつあるのはなんとも皮肉だ。
もやの印象が強すぎて環境問題のテーマすら全く印象に残らないのが救い。
ラストは前作と同じタイムパトロール落ちで拍子抜け。
タイムパトロールって別の星系まで守備範囲なのかよ。未来の人間は宇宙を制覇しているのか?
テーマ押し付け度:★★★★
もやのトラウマ度:★★★★★
評価:92/100
ドラえもん のび太のドラビアンナイト:1991年
■あらすじ
夏休み、のび太はひみつ道具で絵本の中の世界を楽しんでいた。しずかちゃんを誘って2人で絵本の世界に入るが、ジャイアンとスネ夫が絵本をごちゃまぜにしたせいでしずかちゃんが迷子になってしまう。しずかちゃんを助けるため、ドラえもんたちはアラビアンナイトの世界とつながる794年のアラビア、バグダッドへ向かう。
今回の舞台は絵本の世界。
好きなように時空を移動できるドラえもん達は、地底・海底・宇宙・過去と前11作で行くとこだいたい行っちゃったのでもう絵本に行くしかない感じだ。
毎作アイデアを詰め込んだ一話完結で毎回ネタ被らないように作るのは大変。
映画を連続して観るとそれを痛感する。
冒頭、普通にしずかちゃんを絵本デートに誘うのび太。
のび太は小学5年生。この年代になると女の子と一対一は気が引けるはず。のび太はこう見えて肉食系かもしれない。
遠足の日を1日間違えたポンコツしずかちゃんが可愛い。
時間が空いたからのび太の家に来てくれるのも可愛い。
こうして2人は絵本デートに行くが、ジャイアン組がのび太の絵本をバラバラにする。それをのび母が勝手に燃やす。
この世界でのび太には人権が無いようだ。そりゃ「日本誕生」みたいに家出したくなるわ。
結果、絵本の世界から出れなくなってしまったしずかちゃん。
本作はとにかくしずかちゃんが気の毒。
小学生の女の子が、ガチの奴隷にされてしまう。
買い手はガチの悪者で、逆らえば皮が弾け裂けるムチで叩かれる。もうマジやん。
変なことされて傷ものにされたらどうすんの。
しずかちゃんはのび太のせいでこうなったのに文句ひとつ言わず、のび太達が助けに来ることを信じている。なんて健気なんだ。
こんな状況でも大好きな風呂(オアシスの水浴び)を欠かさず、ムチの恐怖の前でも「嘘はつけない」と信念を貫く。
助けるときも真剣さがイマイチ伝わってこないのび太にはもったいない、本当にいい女だ。
ちなみに水浴びシーンではついに前面から全裸が映ってしまった。
しずかちゃんのヌードシーンは「宇宙小戦争」が背面、「パラレル西遊記」が側面、そして本作が前面。これは覚えておいて損はない。
一方、救出に向かうドラえもん組はどうも頼りにならない。
真剣さが伝わらないのび太の他、後半まで全く役に立たないクセに文句ばかり言うジャイアンにも腹が立つ。スネ夫に余計なことを言って足引っ張るし。
スネ夫「ポケットの無いドラえもんなんてただの中古ロボットじゃないか!」
ジャイアン「文句あっか!ドジえもん!」
と一番頑張っているドラえもんへ当たりがキツいのも印象が悪い。
ドラえもん組はしずかちゃんを助けるまで良いところが無く散々グダる。
助けた後ムリヤリひと山作ったような終盤の展開もグダる。
ポケットを取り戻してからの無双感は爽快。
3作連続でタイムパトロール落ちかと思ったけど違って良かった。
謎のタイムトラベラーが登場するのは、マッチポンプ落ちがマンネリなので仕掛けをひねった結果だろう。
総じて夏休みのお気楽ムードとグダグダ感が漂っているが、しずかちゃんが傷ものにされるかもしれないスリルが半端ではないので個人的にハラハラ感は過去最高だった。
ジャイアンにイラつく度:★★★
しずかちゃんがかわいそう度:★★★★★
評価:88/100
ドラえもん のび太と雲の王国:1992年
■あらすじ
「雲の上には天国がある」と言ってからかわれたのび太に、天国を自分で作ろうとドラえもんが提案。雲の王国を造り、スネ夫達を株主にして機材を集めることにした。完成した王国で楽しく過ごすドラえもん達。しかしある日、雲の王国を見失い絶滅動物が暮らす謎の世界に迷いこんでしまう。そこは天上人の国だった。
「アニマル惑星」と同じく環境問題がテーマで、環境を破壊する人間が悪者扱い。
利害関係が対立する天上人と衝突した結果ドラえもんは…
1980年代の楽しい冒険活劇路線と真逆。今までで一番重く、暗い作品となっている。
冒頭、またのび太がムチャを言うパターンから話が進む。
のび太は図書館で資料を探す、のび太らしくない努力を見せるがドラえもんに「そんなのあるわけねーよ」(意訳)と即ボロカスに否定されてしまう。
仕方ないので「天国は無いから自分で作る」流れ。
でも実際に雲の王国はあったわけで、毎回のび太の予想は正しいんだよな。やっぱり夢を持つのは大事ってことだ。
真っ白で真っ平らな世界に、土木工事のように自分たちで王国を作るのはワクワクする。
ドラえもん映画が子供の夢をまた一つ叶えてくれた。
この楽しそうな前半に対して、絶望的な後半のコントラストが強烈。
ドラえもんが2回壊れる唯一の作品。
一回目では内部が、二回目は物理ダメージでもうボロボロ。
故障したドラえもんの描写が恐すぎ。
目をチカチカさせながら「ケロケロパ、ケロケロペ、パリパリプ、プリパリピ」と狂う様子は故障という言葉では生ぬるい。
バグったブラウザ画面を観たときの恐怖に似ている。見慣れたモノが狂う違和感。自分の力ではどうしようもない絶望感。
さらに最後はドラえもんがぁ~!
ガスタンクに突き刺さるシーンはショックを通りこしてシュールですらある。
あの爆発を受けて原型を留めているドラえもんの耐久力はやっぱり凄い。
地上の様子もトラウマもの。
大洪水で地上は壊滅、家族はどうなったかわからず、ドラえもんは故障。大災害の中、のび太独りぼっちの絶望感。
なぜか地上人代表として裁判にかけられ一方的に責められるジャイアン・スネ夫・しずかちゃん組もツラい。
小学生にはあまりにも酷な立ち位置。どうせなら出来杉君を代表にしてほしい。
このようなショッキング描写に加え、天上人と地上人が直接対立するため別惑星の寓話として環境問題を訴えた「アニマル惑星」より空気が重くて暗い。
後半「対等に話し合うには武力を使うしかない」と、らしくないことを言うドラえもんにも違和感がある。
観終わった後、心に何かずっしり重いものを残して後味が悪い。
これを「深い」と取るか、「暗くてドラえもんらしくない」ととるかで評価が別れる。
自分は楽しめなかった。
キャラの魅力よりメッセージ性が勝ちすぎて、もはや「ドラえもん」じゃなくて良い気がする。
あとタイムパラドックスに関しては今さら何言ってんだろう。
いままでも散々過去改変したけど自分達は変化しなかったでしょ。
説教くささ:★★★★
ドラえもんのダメージ:★★★★★
評価:81/100
ドラえもん のび太とブリキの迷宮:1993年
■あらすじ
のび家に届けられたトランクから不思議な門が飛び出した。門をくぐると、砂浜の先にブリキ人形が出迎えるホテルがあった。海水浴とスキーを満喫するのび太とドラえもん。しかし、のび太がスキーをしている間にドラえもんが謎の飛行船に砲撃されて捕らえられてしまう。ドラえもんを救うため、のび太たちはチャモチャ星に旅立つ。
環境問題を訴える重苦しい雰囲気の前作「雲の王国」から、再び冒険活劇路線に戻った。
今回、異様に道具の出番が少ない。
またしてもドラえもんが故障し、復活しても道具が品切れで、移動手段はボトル便箋の中に入る「絶対安全救命イカダ」のみ。
そろそろ道具に頼らず自分で頑張れってことだろうか。
開幕、放送が終わったテレビがつくホラー展開。
これでタイトルが「迷宮」(ラビリンス)だから、もう大変なことになる予感しかない。
シナリオは冒険活劇だが、全体的に不気味な雰囲気が漂う。
人間がカプセルに乗せられた姿は、いびつに人体改造されたようなイメージで怖い。
「日本誕生」以降の、平成に入ってからのドラえもん映画はどこかトラウマ要素を含んでいる。
「ああ、僕は日本一不幸な少年だ」と言ってのび太がまた家出。
「日本誕生」「雲の王国」に続き、平成に入ってもう3回目じゃないか。
「お願いだからぁあああぁん」と道具をおねだりするのび太にドラえもんはウンザリ気味。
そして、映画初の「ドラえもんが22世紀に帰っちゃう」演出が入る。
ドラえもん不在をにおわせ、のび太が夕日を観てたそがれるシーンが入ると感動せざるを得ない。
のび太とドラえもんの絆が今までで最も強く描かれた作品でもある。
いきなり大砲で攻撃を受けたドラえもんは敵に拉致され、前作以上にボコボコされてしまう。
繰り返し電撃で拷問を受けるドラえもんは観るのもツラい。
「のび太くん、もうひと目会ってから僕壊れたかったよ」が泣ける。
のび太も「ドラえもんのためなら僕は…」とドラえもんを大事に思っていることがわかる。
一方そのころジャイアン組は、のび太を信じる健気なしずかちゃんを逆立ちで町内一周させようとする。
お前ら正気かよ。俺、もうジャイアンにはついていけないよ。
しずかちゃんも、のび太なんてもうほっとけよな。のび太に関わるとロクなことにならんて。奴隷にされた「ドラビアンナイト」で身に染みたでしょ。
そのジャイアン組、中盤からはかつて無いほどの活躍を見せる。
ジャイアンはロケット発射時にのび太をかばうし、「ドラえもんを見捨てられない」と言うから憎めない。ほんと映画のジャイアンは卑怯だわ。
スネ夫なんて敵のトレーラーを奪い、複葉機まで操縦しちゃう。「ここまで来ただけでも上出来だと思ってよ!」
このようにレギュラー組の魅力が存分に出ているのは秀逸。
対して話自体は支離滅裂、意味不明である。
ゲストキャラは一緒に戦う仲間を探すためだけに、わざわざ島ごと地球にワープした。それで得たのがたった4人の小学生。費用対効果が悪すぎる。
なぜこの4人が選ばれて、戦う必要があるのかもわからない。道具がなければただの小学生やで。
体力が必要そうな迷宮探索のメンバーに、体力が無いのび太・しずかコンビを選んだのも謎だ。
タイトルの「迷宮」要素が薄いのも拍子抜け。本筋とほぼ関係ない。
もう少しブラックな落ちがあるかと思ってたけど最後もあっさり気味。「いーとーまきまき、いーとーまきまき」
感想をまとめると、
話は薄味だけどキャラの魅力が出ており、メッセージ性の強い前作より素直に楽しめた。
映画で初めて、のび太とドラえもんの絆をしっかり描いた意義も大きい。
「ドラえもんが22世紀に帰っちゃう」伏線は今後も出てくるかもしれない。
最後に流れる島崎和歌子の歌も明るくていい。
前作のシャキっとしない武田鉄矢テイストが苦手なので。
その他、見どころ
・のび父に敬語を使うのび母。昭和の夫婦っぽい
・タヌキと言われて「僕は怒ったぞー」と怒るドラえもんの仕草が完全にタヌキ
・ロボットの部品で変装してるけど誰が見てもジャイアン・スネ夫。
ジャイアンのデベソを再現すな(笑
スネ夫の潜在能力:★★★★
ドラえもんのダメージ:★★★★★
評価:91/100
ドラえもん のび太と夢幻三剣士:1994年
■あらすじ
のび太は現実では活躍できないので夢の中に行きたいとドラえもんに懇願する。ひみつ道具で「夢幻三剣士」の世界に入ったのび太は、ユミルメ国を救う伝説の剣士ノビタニヤンとして冒険する。
今回の舞台は夢。
魔界風の舞台は『魔界大冒険』以来で久しぶりだ。
好きな世界を作って活躍する大筋は『パラレル西遊記』に近いが、今回は現実に干渉しない。
山場からの夢オチ。今までにない導入パターンでスタート。
のび太は「気ままに夢見る機」で、好き勝手な世界で色んなしずかちゃんと良い仲になる。
これ最高の道具じゃね?
好きなアイドルだろうが何だろうが思い通りだ。
そんな道具を使いながら夢の中で昼寝をしてしまうのび太。
この「夢の中の夢」はエンディングにつながる伏線になる。
ドラえもんはのび太に対するデレデレが悪化。
「のび太君怒ってる~?」とのび太の機嫌を1日中気にして、ポケットを手放しのび太の茶番に本気で付き合う。
のび太に理不尽に怒られても困るだけ。
こんな一人っ子教育ではいつまでたってものび太がダメ男のままだ。
夢の中では現実世界でダメな人ほど立派になるらしい。
実際、夢の内容は本心の逆が現れるらしいのでこの設定はリアルに感じた。
夢世界のノビタニアンも精神面はのび太。
やる気が無いと普通に弱い。クマに負ける。
ファンタジーRPGのような冒険を繰り広げる一見わかりやすい作風。
しかしどうも謎が残る。スッキリ観れない。
最初、のび太はドラえもんに「興ざめするから道具を出すな」と言うので夢世界が夢であることを認識している。
しかしいつの間にか現実の記憶を失い、夢こそ現実だと思いこむ。
ドラえもんが道具を出しても魔法だと思っており道具出し放題。
夢世界の認識がどこで切り替わったのかがわからない。
調べたところ、夢カセット「夢幻三剣士」は他の夢カセットとは違い、単なる夢ではなくいわばパラレル世界に行けるカセットなのだとか。
そんな危険カセット、未来デパートで普通に売るなよ…
特殊なカセットを踏まえた上でも謎は残る。
夢世界の斥候・トリホーは「気ままに夢見る機」起動前に現実世界に現れ、現実世界を「始まりの世界」という。
つまり道具を使う前に夢世界は存在しており、なんらかの相互関係がある。
この複雑な話を畳もうとした結果が、あの奇妙で後味悪いエンディング。
山の上に建つ学校は夢世界の城と重なる。もう何がなんだかわからない。
「夢から覚めても夢だった」
本作は最初から最後まで、そんな誰もが経験したことがある悪夢だったのだろうか。
F先生は本作を、話を上手く畳めなかった「一種の失敗作」と言ったらしいのでこれ以上考えるのはやめておく。
上記の謎を含め、総じてよくわからない作品だった。
のび太が理不尽に強くて感情移入しにくい。
最初から剣の凄腕で、レア武器・白銀の剣まで持っている。
そこには努力も根性もない。
現実に干渉しないことを徹底するから切迫感がない。
夢の世界を救う必要性もわからない。
結局、夢世界がただの夢なのか独立した世界なのか曖昧でどう捉えたらいいのか困る。
しずかちゃん(シズカール、シルク)が2人いる意味もわからない。
ノビタニヤンとシズカールが妖霊大帝オドロームにドロドロにされる描写は「ドラえもん」とは思えないグロ。
ファンタジーRPGのような冒険は、ドラクエなどTVゲームの影響がありそう。
(ドラクエ5は1992/9/27発売)
夢の中とはいえ、しずかちゃんと結婚するシーンと現実(?)しずかちゃんのまんざらでもないリアクションがある。
2人の関係が一歩進んだっぽいのは良かった。
オドロームの強さ:★★★★
謎が残る度:★★★★★
評価:75/100
ドラえもん のび太の創世日記:1995年
■あらすじ
夏休みの自由研究に行き詰まったのび太は、ひみつ道具で作った地球型惑星の歴史を観察して自由研究にすることにした。ときにはのび太が創造主として生命の進化に介入し、新惑星は順調に育っていく。しかしこの新惑星には独自の進化をとげた昆虫人が出現していた。
今回は宇宙の成り立ちから地球生命の進化までをざっくり体験する。
敵も戦いもなく、シャーマニズムなど妙に説明的な単語が出てくる「ドラえもんで学ぶ歴史図鑑」みたいな作品。
開幕、珍しくのび太が本読んで勉強してるなと思ったら、夏休み半分終わったのに全く自由研究に手を付けていないからだった。まったく、のび太らしいや。
のび太のダメっぷりは想像をはるかに超えてきた。
「あのアダムとイヴが悪いんだ。知恵の木の実を食べたばっかりに神様に楽園を追っ払われたから僕がこんなに苦労するんだ」
とハチャメチャな責任転嫁をする。
他人のせいにするのはのび太の悪いクセだ。
テレビシリーズのあるエピソードでは、中学生のび太が小学生のび太に、高校生のび太が中学生のび太に「昔の僕が勉強しないから今の僕が苦労している」とムリヤリな責任転嫁をする。
全て今の自分のせいだと早く気づいてくれ!
ここまでダメだと「出来の悪い子ほど可愛い」って言葉の意味がわかる。
そんなのび太に相変わらずデレデレなドラえもん。
泣きつかれてすぐ自由研究用の道具を未来からお取り寄せ。
研究に集中できるように、面倒なジャイアンの相手までしてくれる。
ドラえもんに背中を押されながら順調に進む創世作業。
しかしのび太がまたやらかしてしまう。
魚を進化させるために使った「進化退化放射線源」を昆虫に当てちゃって後に昆虫人が誕生。その後一悶着あり…
そもそもこんな自由研究、どうやって発表すんねん。
と疑問だが、スタッフロールの最後に先生の評価で「大変良く出来ました」と書いてある。
どうやら先生は図書館の資料などで研究したと思ってくれたようだ。
全体的には、スッキリしない作品。
まず邪馬台国っぽいタイトル絵のイメージに反して時代も国も飛び飛びで焦点が定まらない。
その上でシナリオが謎。
新宇宙に介入するドラえもん達、対立する昆虫、皆何がしたいのかわからない。
観察するために作った世界なのに悲しい出来事があるたび介入し、挙句の果てに創世世界でまた都合の良い世界を創世する。
問題が起こるたび都合の良い世界を作ったらキリが無いし、歴史のあり方を否定している気が。
運命に翻弄されながら進化し、利害が衝突してぶつかりあいながら反省や教訓を得て糸を紡いでいく、それが歴史のダイナミクスってもんじゃないの?
のび太創生宇宙で生まれた昆虫人が、時空間の抜け道から現実世界に来れるのも気になる。
これができちゃったらヤバい。やろうと思えば現実世界の創造主(のび太)をいつでもヤれる。
2作連続で違う形のハチャメチャな作品が続いたので、次は良い意味で普通の作品を期待したい。
ジャイアン・スネ夫のラブラブ度:★★★★
出来杉君の自由研究がガチ度:★★★★
評価:79/100
ドラえもん のび太と銀河超特急:1996年
■あらすじ
ドラえもんとのび太は22世紀で大人気の銀河超特急に乗り、宇宙や惑星の絶景に魅了される。いつもの3人を誘い、到着したのは宇宙の巨大遊園地。遊園地のアトラクションを楽しむドラえもん一行の背後で謎の寄生生物・ヤドリが暗躍する。
今回は列車で宇宙を旅行する。
「雲の王国」「創世日記」のような小難しさが無い、普通の作品がきた。
公開年の1996年に生誕100年を迎えた宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」のオマージュ作品らしい。
藤子F先生は次回作の連載中にお亡くなりになるため、本作はF先生が結末まで手がけた最後の作品。
開幕はおなじみ、スネ夫の「のび太の分はない」からスタート。
でも今回はいつもの悔しい「ドラえもーん!」ではなく、3日間行方不明のドラえもんを心配する「ドラえもーん!」で始まる。
のび太は珍しく何も困っていない。銀河特急にジャイアン達を誘う余裕もある。
今回ののび太は何かが違う。
ドラえもんは22世紀の長い行列が気になって並び、3日間かけて銀河ミステリー列車切符を手に入れる。
のび太と乗るために3日間頑張って並んだドラえもん、どんだけのび太好きなんだよ。
作品を重ねるにつれドラえもんの萌え度が上がっている。
「わぁ~」「もうのび太君ったら、いいかげんにしてよっ」
リアクションがいちいち可愛い。
今回は話が早く、特に何事もなくささっと銀河超特急に乗り込み手荒い歓迎「列車強盗ショー」※を受ける一行。
※
京都嵐山トロッコ列車のなまはげを思い出した。
シャレが通じない、空気読めない雰囲気で本当に恐い。
予告なしに出てきて特に歓迎もされておらず、車両全体が変な空気になった。
トロッコ嵐山駅員の態度が悪く、値段が異様に高い上にこの仕打ち。
列車強盗の危機に対し「今度も逃げないでぶつかっていこうよ!」と、いつになく強気なのび太。
スネ夫は「のび太って映画になると急にカッコいいこと言うんだから」と返す。
このメタ的な台詞はあまり聞きたくなかった気がする。登場人物が言うと興ざめ。
スネ夫の言うとおり、のび太は映画でカッコよくなるのがお約束。
ただ今回は次元が違う。のび太が最強伝説を残す。
のび太は射撃の天才。“銃的なもの”を持つと頭のキレや運動神経まで別人に変貌する。
リボルバーから大砲まで、何かを撃ち出すものなら何でもいける。もう射撃が得意とかいうレベルじゃない。
まずは銀河特急に備え付けられたクセの強そうな大砲。初めて使って百発百中。
ガンマン早撃ちテストでも魅せる。
激ムズな合格条件「空き缶に6発中2発当てる」すらのび太にはヌルすぎた。
のび太は同じ缶に6発当てる超人技を見せつける。
技術はともかくなんだこの余裕は。精神がいつもののび太じゃない!
強盗団との戦いでは、地面を一回転しながら強盗団6人を撃ち抜くスパイ映画のようなアクションを決める。ほんと、どうしちゃったんだのび太。
ヤドリとの集団戦では1人だけ二丁拳銃でばったばったと撃ち落とす。
しずかちゃん達と比べてのび太の射撃だけ回転率が異常だ。
極めつけはラスボス・ヤドリ天帝との勝負。
のび太の体を乗っ取ろうと巨大ロボットから出てきたところを早撃ちで撃墜。
早撃ちの技術が凄いのはもちろん、通常のび太では考えられない大胆な立ち回り。この姿を見ればしずかちゃんも惚れるわ。
本作を見ると、自信が人を変えることがわかる。
そう、のび太は出来ない人間ではない。自分には出来ないと思い込むからできないのだ。
そう思わせているのはのび太を甘やかすドラえもんだ。
シナリオはやはりというべきか、中盤からタイトル「銀河超特急」が関係ない状態に。
開始30分で早くもテーマパークの話にすり替わり、展開がグダる。
これはもう平成シリーズ最高にグダグダだ。
メイン舞台の「ドリーマーズランド」は、西部の星、恐竜の星、忍者の星、メルヘンの星など様々なスポットがある。
面白そうなものは何でもブチ込んでおけ的な雑さ。
一つ一つの描写は薄く、話がとっ散らかる。
ヤドリとの決着がつかないのも消化不良。
「ヤドリも二度と襲ってくることはないでしょう」と、ドラえもんの甘すぎる見解で終わる。
そんな風に考えるのは日本人だけだろう。
話のインパクトが薄い分を穴埋めするためか、しずかちゃんのサービスシーンは攻めの姿勢。
タケコプターで飛ぶしずかちゃんの背後からなめるようなカメラワークでパンツを映す。
そして風呂。しずかちゃんが1日3回入る風呂。
また全裸が映った。しかも今回は見えてはいけないものが見える気がする。
感想まとめると、マンネリとの戦いが深刻。
銀河超特急も、恐竜やら何やらを全部ごちゃまぜにしたテーマパークも大味。
「日本誕生」以降の重いテーマ・シリアス感に慣れてしまったのか、もはやただの冒険活劇では満足できない自分がいる。
恐竜だけでワクワクしたあの頃には戻れないのかもしれない。
今後は作画や演出で表現力を引き上げる必要がありそうだ。
のび太の強さ:★★★★★
しずかちゃんのサービス度:★★★★★
評価:82/100
ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記:1997年
■あらすじ
スネ夫たちに「牧場を持っている」と嘘を言ったのび太は、小惑星引換券で自然溢れる小惑星を見つける。おもちゃに命を吹き込み星を開拓し、おもちゃの町を作るのび太達。そこに凶悪犯・熊虎鬼五郎が忍び込み、自分のクローンで軍団を作り惑星を奪おうと画策する。
藤子F先生は本作の執筆中に死去したので、F先生の遺作となった。
スタッフに残した原稿とプロットを元に完成させたらしい。
開幕、「牧場を持っている」とまたハッタリをかまして引っ込みがつかないのび太。※
何かを察して「のび太さん…」とさっそく心配になるしずかちゃんが可愛い。
※
子供の頃はそういう嘘つきたくなるよね。海沿いの田舎育ちの俺は小学生の当時、「岩場でこーんなにでっかい水晶を見た」とかハッタリかました。今考えると嘘丸出しでめちゃ恥ずい。
今から牧場を作ろうにも土地がないので別の惑星へ行くのび太達。
のび太が小惑星の番号を間違えて、「種をまく者」が隠した楽園へ行く。
のび太のドジはときにミラクルを起こす。
別惑星で上機嫌に勝手な生物を量産するのび太達。
のび太さ、それ『日本誕生』でやって軽く否定されたでしょ。
新しい土地を開拓するのは『雲の王国』と同じ流れ。
一方、本作で主に冒険するのは前科百犯の凶悪な脱獄囚・熊虎鬼五郎。
のび太達は状況に踊らされる引き立て役に近い。
敵が主人公の構成はかつて無いもので、良い悪いはともかく新鮮だ。
鬼五郎は前科百犯=脱獄の常習犯。
粗暴な振る舞いに似合わない頭のキレが凄まじい。
ドラえもん達の会話から、
・ここは別の惑星
・見たこともない変な動物がいる
・自分のクローンが99人生まれる
このありえない状況を的確に理解する。
前科百犯なので当然悪い奴だが、勇気を振り絞って見知らぬ場所を探索する姿はまさに主人公。つい応援したくなる。
のび太は前作『銀河超特急』に続きまた男を見せる。
さすがに前作はやりすぎだったのか今回の戦闘描写は控えめ。
しずかちゃんを救出し、ラスボスを紙一重で倒す程度。
前作のび太ならクローン鬼五郎達を1ターンで瞬殺だろう。
鬼五郎の活躍や種をまく者など新鮮な展開がありつつ、全体的には『日本誕生』以降の平成シリーズと比べて地味な印象。
というのも、
・のび太、しずかちゃん以外のメンバーの活躍がほぼ無い
・星まるごと貸し切りにしては開拓のスケールが小さい
株式で資材を購入するなど面白い要素があった『雲の王国』ほどのワクワク感はない。
(種をまく者は人類の起源なので実は重要な話だったりする)
地味さに加えて、倫理的に引っかかるためモヤモヤする。
『日本誕生』のように好き勝手な生物を量産するだけでは飽き足らず、人間のクローンを作ってしまった。
最後は「ほくろ」以外の鬼五郎99人の存在を抹殺して辻褄をあわせる。実質、99人死刑。
そんなことが許されて良いのか?と引っかかる。
BGMが何にでも使えそうな曲でダルいのも難点。
特徴が無い、ドラえもんらしくない、状況と合わない、の三拍子揃う。
鬼五郎の主人公感:★★★★
BGMの出来:★★
評価:78/100
F先生の遺作となった「ねじ巻き都市冒険記」でひと区切りとし、ここまでに紹介した歴代作品の評価点数を振り返ってみよう。
冒険活劇「のび太の恐竜」から始まったドラえもん映画は順調に内容を充実させて「日本誕生」でひとつの完成形となる。
その後は環境問題など重いテーマをプラスし、描写も過激に。
子供にトラウマすら植えつける作品を連発。
個人的にややこしいテーマが苦手なので点数は低いが、作品として高いクオリティを維持している。
F先生は毎作違う趣向を盛り込むサービス精神ゆえ、晩年はネタ切れで苦労したという。それが「夢幻三剣士」あたりからうかがえる。
それでも良作といえるクオリティを維持し、最後まで存分に楽しませてくれた先生はやはり偉大だ。
F先生亡き後、ドラえもん映画の出来が下がるのか上がるのか。不安であり楽しみでもある。
大山ドラ後期
ドラえもん のび太の南海大冒険:1998年
■あらすじ
小説「宝島」を読んで触発されたのび太は、ひみつ道具で宝島の場所を突き止め、海の冒険へ出発する。いつもの5人で冒険を楽しんでいる途中、時空に異変が起きてのび太たちは17世紀のカリブ海へワープしてしまう。巨大な海賊船に衝突して海に投げ出される5人。のび太は4人とはぐれてしまい、ドラえもんはポケットを失って残ったのは7個のひみつ道具だけ。ドラえもん達はのび太を助けるため海賊とともに宝島を目指す。
原作者没後の第1作で、原作漫画は藤子・F・不二雄プロダクションが担当。
作者亡き後という話題性もあり、配給収入は当時歴代1位、観客動員数2位の大ヒット。
本作の結果を受けて以後も毎年長編映画が制作されることになった。
多数の芸能人がゲスト声優を担当している。悪しき風習の始まりである。
OP「ドラえもんのうた」は吉川ひなの。
わざとキー外してるんじゃないかと思うほどへったくそな歌でテンションが落ちてからのスタート。
海で冒険するって言い出したのに、のび太は泳げないのかよ。つくづくダメだなぁ~
海賊船と衝突したとき、
「のび太!しっかり、手を離すな!のび太ぁ~のび太ぁ~」
と過去最高にカッコいいジャイアンが観られる。
なんやかんやあって敵の秘密基地へ。
「不法な目的で合成生物を作ることは禁止されているはずだ!」
とMr.キャッシュに怒るドラえもん。
そして、のび太が覚醒する。
「許せない!地球の動物達を人間が勝手に武器に作り変えるなんて僕は許さなーい!!」
とDr.クロンに改造されかけてるイルカ・ルフィンを助けるために実銃を発砲。
普段温厚なのび太のマジギレは恐い。隣のドラえもんも引いてる。
「銀河超特急」を見てわかるように、銃を持った覚醒のび太には誰も勝てないのだ。
でもよく思い出してほしい。
のび太も「日本誕生」でキメラみたいな生物を3匹作って戦力として使っていた。
前作「ねじ巻き都市冒険記」では好き勝手におもちゃへ命を吹き込み、さらに事故とはいえ人間のクローンまで作ったあげく自分達の都合で消去した。
にも関わらずこのマジギレである。
自分達のやりたい放題は合法で、Mr.キャッシュは一方的に不法というのはどーなのよ。
このご都合主義が気になって、話自体はスッキリしてるのにスッキリ観れなかった。
最後は、ジャイアンが女性ゲスト・ベティと良い関係になる。
ベティはジャイアンの歌も受け入れることができる唯一の女性、というか生き物なので2人は結ばれてほしかった。
てかリバイアサン放置はダメだろ。被害者出るって。
最後も吉川ひなののへったくそな歌のED曲で終わり、鑑賞した91分間に泥をぶちまけられた気分で終わった。
総じていうと、前作までのようなハチャメチャでトンガッたセンスが無くなり普通のアニメ映画になった印象。
ちゃんとした大人が作った感じで安定している。観やすい。
ただ、個人的には「こうすれば感動するんだろ?」的な作り手の意図が見えすぎて引いてしまった。
F先生の作品にあった素朴な何かが失われているような気がする。
とはいえ、それは先入観によるもので気のせいかもしれない。
なのでこの先にも期待したいが、吉川ひなのを推す事務所の力に負けていることから制作体制の弱体化がうかがえるため不安である。
ジャイアンのイケメン度:★★★★
吉川ひなのの歌唱力:★
評価:79/100
ドラえもん のび太の宇宙漂流記:1999年
■あらすじ
宇宙旅行に行けるのは21世紀からと知りガッカリしたのび太達は、ドラえもんに宇宙旅行を頼みに行く。ドラえもんに突き返されるが、かわりに未来の宇宙探検ゲームで遊ぶことにした。しかしゲーム内にジャイアン・スネ夫を残してのび母にゲームを捨てられてしまい、さらに捨てられたゲームをUFOが持ち去ってしまう。のび太達3人は宇宙でUFOを捜索する。
ドラえもん映画・テレビ20周年、テレビ朝日開局40周年を記念した超大作。
ストーリーは原案なしの完全オリジナル。
宇宙を舞台にした冒険活劇、いわゆる「スペースオペラ」色が強い。
序盤、のび太の部屋を無重力にして遊んだ結果、家がボロボロに。
ニュースになるぞこれ。しずかちゃんがパーマかけたみたいになっててかわいそう。
その後、なんやかんやあって宇宙船に乗り込んだ一行。
今回、しずかちゃんはもはや風呂といえるのか怪しい「水の玉」で入浴。360°から丸見えである。
しずかちゃんって毎回知らない場所で風呂に入ろうと思うのが凄いわ。
俺は久しぶりに帰ったら実家でも入りたくない。床濡らしたら悪いな、髪の毛とか残したくないな、とか考えてめんどくさいもん。
今回、のび太の様子がなんだかオカシイ。
「冒険もせずに帰るなんてもったいない!」と自ら死のリスクを負う。
さらに一刻を争う状況で次々とひみつ道具の使い方を提案し、全て的を射ている。
映画ののび太がカッコよくなるのはお約束とはいえ、銃も持ってないのにキャラ変わりすぎ。これでは出来杉君ではないか。
母船・ガイアや独立軍戦艦の半端ではないスケール感、どこかで見たことあるような…と思って調べたら「マクロスシリーズ」のメカニックデザイナーの宮武一貴とスタジオぬえが制作していた。
しかし戦闘機のアニメーションは、スネ夫のミニチュアで戦った「宇宙小戦争」に大差で負けている。しょぼい。
黒幕・モアの正体にはガッカリ。
「黒幕の正体は子を思う気持ちが暴走して他星を侵略しようとする母親AIだった」
ぐらいズシリと重い展開がほしかった。
SPEEDのED曲「季節がいく時」が合ってない。
前作の吉川ひなのとは違う形で最後に泥をぶっかけられた気分だ。
本作の大まかな見どころは以上。
というのも「宇宙開拓史」のロップル君や、しずかちゃんと仲良くなる「鉄人兵団」のリルル、「宇宙小戦争」など、過去作の要素をコラージュしたような作品なので今さら特筆すべきことが無い。
率直な感想をいうと凡作。
シナリオに山なし谷なしで平坦。味の薄いカレーを食べたような気分。
フレイアの心変わりが早すぎたり、銀河漂流船団がいい人ばかりで他星を侵略する気ゼロだったり、都合良すぎる展開も気になる。
場面のつなぎ方もなんだか単調。
ツルーミ系S-56から船団到着までの「船内→宇宙船外観→船内→宇宙船外観」の繰り返しは、何かの間違いで同じ区間がリピートしてるのかと思い再生バーを確認したほど間延びしている。
ここまでドラえもん映画20作観てきたが、明らかな凡作に出会ったのはこれが初めて。
同時上映の「のび太の結婚前夜」の方が観たい。
前作「南海大冒険」と本作で、やはりF先生のセンスは特別だと確信した。
F先生の作品には子供が作ったような支離滅裂さと懐かしいような素朴さがあった。
子供のように想像を膨らませ、キャラを好きなように動かした結果、収集がつかなくなって最後はドラミちゃんやタイムパトロールが出てきてムリヤリ終わる。
そんな支離滅裂でどこか間の抜けた作風が、今思えば「ドラえもん」の魅力だったのだと思う。
「ドラえもん」で観たいのは出来杉君の答案みたいな話ではなく、のび太の0点答案みたいなハチャメチャさ。
のび太のような、真面目な大人では考えつかない発想だからワクワクするのではないだろうか。
F先生亡き後の本作は、もはやちゃんとした普通の大人が作っている。
分別のある、テストで良い点を取れそうな大人が作っている感じ。これではワクワクできない。
前作はまだ観れる範囲だったが、本作は20周年で気合が空回りしているせいか大人な真面目さが目立ちすぎている。
とはいえこれ以上、F先生と比較し続けるわけにもいかない。なんせドラえもん映画は毎年出るのだ。
先は長いのだから、いつまでもF先生の影を追うわけにはいかない。
「F先生はもう帰ってこない」「時代は変わった」
そんな風に割り切って、次作以降の新しいドラえもんに順応していきたい。
もしかしたら新しい形の、F先生時代を超える作品が現れるかもしれないし。
船団のマクロス感:★★★★
SPEEDのミスマッチ度:★★★★★
評価:70/100
ドラえもん のび太の太陽王伝説:2000年
■あらすじ
白雪姫の劇の練習をしていた5人。しかし練習が進まない上に、使っていたひみつ道具をジャイアンに取られてしまう。のび太は「タイムホール」を使って取り返そうとするが失敗。ジャイアンから逃げて暴れた結果、タイムホールの時空が乱れて古代の太陽の国・マヤナ国に繋がってしまう。そこでのび太は、自分そっくりの王子・ティオに出会う。
舞台は古代文明の王国「マヤナ国」。
現地人の服装、生贄の儀式、ピラミッドの形はアステカ文明やマヤ文明がモチーフっぽい。
のび太にそっくりな王子とのび太が入れ替わり、お互いの世界で生活をして文化の違いを体験するのが大まかなストーリー。
うーん、どこかで観たことある感じだ。
冒頭、白雪姫の劇で木の役をやらされているのび太。やっぱそうなるよな。
その後、練習が嫌になったジャイアンに道具を奪われてしまう。
ネズミ一匹でパニくるドラえもんにネズミの大群出すなんてひでぇなジャイアン。
のび太達は道具を取り返すため策を弄するが失敗。結果、ジャイアンの歌を食らってしまう。
このとき、しずかちゃんだけ1階の屋根に避難してるのが笑う。
ひみつ道具というかもはやただの巨大トリモチでムリヤリ取り返そうとしたあげく道具が爆発。
イタズラされたみたいにススだらけでボロボロになりながら「私大丈夫よ…」といって家に帰るしずかちゃんはもう踏んだり蹴ったりだ。帰ってすぐ風呂に入ったに違いない。
こうしてタイムホールが別世界とつながり、のび太とのび太そっくりな王子の入れ替わり生活が始まる。
現代で暴れまくる王子はジャイアンと衝突。
厳しい戦闘訓練をしてきた王子と互角って、ジャイアンはガチで強いんだなと感心した。
そんなこんなで、心を開いた王子に本当の友達ができて力を合わせてボスを倒す流れ。
とりあえず白蛇の大群がめちゃくちゃキモい。
最後は主題歌「この星のどこかで」で綺麗に収まった。たぶんこの曲流せばどんな話でも綺麗に収まる。
そもそもの話になるが、
のび太と王子が似ていることに全く理由がない。この都合良すぎる偶然が最後まで気になってしまった。
「今さら何を言ってるんだ。ドラえもん映画なんてどれも都合良い偶然の連続だろ」
と思われるかもしれない。
しかし、今までの都合良すぎる展開というのは、ロップル君のテレパシーを偶然のび太が受け取るとか、地底王国や天上国を偶然発見するとか、運命に自分が選ばれた的なワクワクするような偶然だった。
あと、過去作にものび太にそっくりなキャラが登場することはあったが、ちょっとしたお楽しみ要素に過ぎない。
先祖だったり、外見に応じて性格が似ていたり、自分自身だったので必然性もあった。
対して今回のはどうだろう。
運命的な出会いでもなければ、似ている理由もないし性格も全く違う。
さらにいうと、王子が心を開いて本当の友達を作る話なので、実はのび太と似ている必要がない。
よって、のび太に似ていることがワザとらしく感じてしまう。
のび太は運動神経悪いのにサッカーみたいな競技「サカディ」で活躍したり、「1+1は1にならないんだよ」と脈絡なくカッコいい台詞を言うあからさまな主人公補正も気になる。
まあちょっと難癖をつけてみたが、全体としては普通に観れる。
派手さは無いので存在感が薄い作品だが、安心して楽しめる。
白蛇のキモさ:★★★★★
ティオの器の小ささ:★★★★
評価:75/100
ドラえもん のび太と翼の勇者たち:2001年
■あらすじ
鳥人の話を聞いたのび太は、自分の力で空を飛びたいと自作の翼で裏山で練習していた。すると鳥人の世界から鳥人の少年・グースケが人間界に迷い込んできた。のび太はグースケの人力飛行機を修理して元の世界に帰すが、ジャイアンとスネ夫もついていってしまう。鳥人の世界で合流した5人はひみつ道具で鳥に擬態し、探索を始める。
前作「太陽王伝説」と同じく、また都合良く作られたパラレルワールドが舞台。
この設定を連発されるとツラい。
簡単にいうと、ドラえもん達が別の映画にゲスト出演しているような形になってしまう。
のび太達はただ興味本位で介入しているゲスト=お客様みたいな扱い。
そのため自分事として感情移入できない。
過去作は小学生が命をかけるそれなりの事情があったものだ。
世界の危機だから怖いけど勇気を振り絞って立ち向かうとか、そんなつもりじゃなかったけどいつの間にか大事件に巻き込まれて後戻りできないとか。
対して本作では、のび太達は危険があるとわかっていながら、もはや自分達の生活と全く関係ない場所で勝手に命懸けのリスクを進んで背負っている。これではハラハラしないし、ワクワクもできない。
また、本作は新キャラ側の活躍がメインなのでドラえもん側の活躍を抑えている。
ひみつ道具は地味なのばかり。珍しくドラえもんが猫と認識してもらって感激する以外、印象的な掛け合いもない。
メインはグースケの成長物語であり、イカロスさんとグースケの師弟関係で完結している。
極端な話、のび太達はいなくても良い話。
そのため「ドラえもん映画を観ているはずなのに、俺はいったい何を観せられているんだ」的な気分になる。
メインとなっている新キャラ側のドラマも、どうも都合の良い展開がワザとらしく感じてしまう。
以下、気になる部分。
複葉機で参加したらレース失格は当たり前だろ。
隊員を選ぶ選抜試験の意味もあるからなおさらだ。隊員が1人だけ複葉機乗ってたら統率とれないだろ。
てかあんなにこだわってた飛行機、結局捨てるのかよ。才能を努力で超える話じゃなかったのか。
イカロスさんの立ち位置がよくわからん。
・伝説の勇者
・グースケの実父
・ジーグリードの同期で負傷に責任感じて隠居
テキトーに経歴乗せすぎ。
全ての元凶である黒幕・ジーグリード。
まず、なぜカラス警備隊の長官がハゲワシなんだ?
人間に羽根を撃ち抜かれたことを恨んでるけど、ハゲワシは密猟の人気種だから人間界に来るのが間違いだ。
自分が撃たれたからって人類絶滅は行き過ぎ。せめて撃った奴だけに復讐してくれ。
鳥人間世界だと言ってるのに急に恐竜出すなよ。
今まで守ってきた設定がぶち壊しじゃないか。せめてデカい鳥人間を出せ。
そもそも、怪物一体で人間を滅ぼすなんてムリだ。人間をナメすぎ。最後、カーズ様みたいになってるじゃないか。それでいいのか。
ジーグリードは全ての元凶なのに、怪物を出した後にどうなったかが一切わからない。
なので結局「鳥をいじめる人間が悪い」みたいな話になってるのが腑に落ちない。
前作と同じく、エンディングで感動的な曲を流すことでとっ散らかった話を強引に収めようとする狙いが見える。
今の気持ちを正直に言うと、ドラえもん映画を観るのがツラくなってきた。
90年前半までの、まるでおもちゃ箱を開けたような面白さが懐かしくなってしまう。
「宇宙漂流記」で「F先生と比較し続けるわけにもいかない」と言ったものの、F先生没後はお決まりの手法で感動させようとする狙いが見え見えで作品にパンチが無くなったのが明らかだ。
この先、面白い作品が出てくる兆しが見えない。
次もこのような作品だとレビューが二行ぐらいで終わるかもしれない。
いったん一作目「のび太の恐竜」のような原点に戻るべきではないか?
裏山に恐竜の卵があった、それを孵化させたらでっかくなっちゃった。
そんなバカみたいな話でいいじゃないか。
グースケの飛行機はなんだったんだ感:★★★★★
評価:70/100
ドラえもん のび太とロボット王国:2002年
■あらすじ
ドラえもん達は少年型のロボット・ポコと出会う。ドラえもん達はポコを元の世界に返してあげるが、その世界ではロボットから感情を消去する「ロボット改造命令」が下されていた…
大筋は、
・ゲートが開いて困っている異世界の少年が現れる。
・ドラえもん達も異世界へ行き親切な人に出会う。
・人間に恨みがあり、人間を滅ぼすとか奴隷にしようとする黒幕がいる。
・ドラえもん達が変装して冒険する。
前作「翼の勇者たち」と全く同じじゃねーか!
始まってすぐロボット世界で「ああ、またか…」な感じ。3作連続で異世界モノがきた。
とりあえず気乗りしてないスネ夫は帰してやってくれ。
以下、気になる点。
・ギャグシーンが多いが、ことごとくスベっている
特に鋼鉄バトルが寒い。グダりすぎ。
ドラえもんならガチで戦えるはずだし、ここはドラえもん側唯一の見せ場。ギャグではなくカッコよく演出してほしかった。
・ジャンヌ王女の動機に納得感ゼロ
人間の心があるから父親を殺したならともかく、ロボットには何の悪気もないただの事故じゃないか。
それで全ロボットから人間の心を奪い、大事に思っている母親まで幽閉するのはオカシイだろ。
しかも王女はあれだけ傍若無人な振る舞いをしたのに、ちょっとした自然の風景を観るだけで「私は間違っている」とすぐ心変わりする。
感動的なBGMを流せばごまかせると思ったら大間違いなんだぜ。
・黒幕がジジイの弟である意味が無い
感想をまとめると、異世界を舞台にする難点が前作と同じ。
ドラえもん達が別の映画にゲスト出演しているようで「俺はいったい何を観せられているんだ」感がある。
さらに本作はロボット世界である必要性が全く無い。
前作の鳥人間でも良いし、犬世界でもネコ世界でもなんだって良い。
それほど全ての要素がとにかく薄っぺらい。こうしとけば感動するんでしょ的な。観客を甘く見ているとしか思えない。
異世界にゲスト出演する構成をテンプレートにすればたしかに毎年新作が出せるが鮮度は落ちていく一方。毎年惰性で作り続けているのがよくわかる。
「ドラえもん」を子供向けアニメとするなら、1980~1991の子供の方が良い作品を観ていたのは間違いない。2000年前後の子供はドラえもん外れ世代だ。
前作のレビューの最後に「駄作ならレビューが二行ぐらいで終わるかもしれない」と言ったものの、一応2時間かけて観ているので2行で片付けるわけにはいかなかった。
始めたからにはアマプラで観れる最後の作品まで観るつもりだが、どこかで盛り返してくれないとこの記事がバッドエンドになってしまうのでどうしたものかと困っている。
助けてードラえもーん!
マンネリ感:★★★★★
評価:67/100
上記のように、「ドラえもん達が異世界にゲスト出演する構成」をテンプレートにすれば簡単に話が作れる。
それを証明するため、テンプレートを使ってテキトーな話を作ってみたのでご覧あれ。
「ドラえもん のび太のパオーン勇者物語」
ある日、時空のゆがみにより象世界から現代に飛ばされた象少年・パオはのび太と出会う。
「ほんやくコンニャク」で会話し、パオはのび太達5人と打ち解ける。
のび太達はパオを象世界に帰すとともに、せっかくだから象世界を探検することにした。
象世界に行ってみると、パオの父親は一国の大統領だった。
パオ父は、象世界は人間の象牙狩りから逃れるために自分達が作った世界であることを説明し、パオを助けてもらったお礼をする。
しかし象世界には人間をよく思わない人もいるからむやみに外に出ない方が良いという。
そこでドラえもんは「象の鼻マスク」を取り出す。この長い鼻がついたマスクを装着すれば、誰がどう見ても象にしか見えない。
マスクで象に擬態したのび太は長い鼻でけん玉とあやとりを、しずかちゃんは鼻で水浴び、ジャイアンは力自慢の象と相撲をとり、スネ夫は鼻でラジコンを操作し、象世界に馴染んでいく。
そんなとき、かつて人間による象牙狩りで父親を失った副大統領がクーデターを起こす。パオ父を幽閉した上で、人間を巨大象モンスターで滅ぼす計画が実行されてしまう。
のび太達は象モンスターの鼻を使った圧倒的吸引力に苦戦しながらも、それを逆手に取り爆弾を吸い込ませる。そして象達と力を合わせることでなんやかんやで象モンスターを倒し、副大統領を引っ捕らえる。
解放されたパオ父は、自分もかつて父を象牙狩りで失ったが、その悲しみを糧にして幸せな象世界を築くために頑張ってきたことを明かして副大統領を説き伏せる。
その話を聞いたパオは、パオ父の意思を受け継ぎ立派なリーダーになることを決意する。
のび太達は人間の罪深さを感じながらパオとの別れを惜しみつつ現代に帰る。
のび太のポケットの中には象モンスターが落とした象牙の欠片があった。それは勇気ある者だけが持つことを許される勇者の証。
ね?作れたでしょ?
このような、素人が10分で作れるような話ではイカン。
ドラえもん のび太とふしぎ風使い:2003年
■あらすじ
ドラえもんたちは台風の子ども・フー子といっしょに不思議な風の世界へ行くが、そこで風の民と嵐族の争いに巻き込まれてしまう。
またしても、可愛らしいゲストキャラに出会って異世界に連れていかれる流れ。
F先生没後、ドラえもん映画のテーマは子供心のワクワクからお涙頂戴の感動モノに移行しており、本作はその傾向が顕著。
もうなりふり構わず感動させにきている。
子犬みたいな鳴き声のひときわ可愛いフーコちゃんが自己犠牲の精神で頑張る。
フーコちゃんと敵モンスターが戦う様子は「ドラえもん」というよりもはやポケモン。
ところで、本作からキャラがデジタル作画になった。
線に抑揚が無く、アンチエイリアスがかかっていないのかガビガビしている。
以下、気になった部分。
スネ夫が異様にフーコにこだわるのが謎。「家来にしたい」という動機はスネ夫らしくない。
そのスネ夫が敵にとりつかれて極悪人になるけど、元々憎たらしい奴だから普段とあんまりキャラ変わってないのは笑う。
のび太はヤーク(山神様)に「フーコを守れるのはのび太だけ」といわれるが理由が無くて意味わからん。しかもその後速攻で奪われてしまう。守れてねぇ~
後半は銃ではなく剣を持った覚醒のび太が観られる。
これはもう完全に勇者。やっぱりのび太はやるときはやる男だった。
最後はフーコちゃんがぁ~!
結局、時間犯罪者の目的がよくわからん。
このように、可愛いフーコちゃんが見どころでフーコちゃんだけで感動できる。
しかし話としては相変わらず薄味。
F先生の作品と比べて薄味で物足りなく感じるのは、作品世界に筋が通っていないからだろう。
ハチャメチャでもいい、作品なりに一本筋の通った設定が欲しい。感動させるには感動を乗せる土台が必要だ。
「太陽王伝説」以降の4作はどれも「どこからともなくゲストキャラがワープしてくる」安直な導入。
異世界はいい人ばかりで、黒幕が暗躍しているから助ける流れもお決まりでひねりが無い。
また、本作は舞台は地球上の秘境 (服装をみるとモンゴルっぽい) らしいが、こんな超常現象が起きる地域がまだ発見されていないのは奇妙すぎる。にも関わらず、その理由・説明が一切ない。
世界設定も活かさていない。
シナリオと噛み合っておらず、ジブリ作品のごちゃまぜみたいな感じ。
「どうせお決まりの要素を入れたら感動するから設定なんてテキトーでええやろ」
的な制作者の甘えを感じる。つまり観客をナメてる。
F先生は読者・観客をナメていなかった。それは作品を観ればわかる。
例えば「大魔境」の舞台も本作と同じ地球上の秘境だが、わざわざ「衛星写真に写らない」設定を作った上で、ひみつ道具で上空写真を撮りまくってようやく発見していた。
「竜の騎士」ではのび太の答案を隠す小さな動機から、キャラが活き活きと動き出し、地底王国の発見につながっていく。
晩年の作品を観れば、マンネリに苦しみながらも逃げずに必死で戦っていたのも伝わってくる。
対してF先生没後の作品は最初からマンネリと戦う気がない。新しいものを作る気がない。
作品にその意識の差が出ちゃっているのだと思う。
ここまで散々に言ってしまったが、前作までと切り離して単体で見れば本作は良作といえる。
フーコちゃんが可愛いし、レギュラー組の絆や実生活の危機も描いており、前作からかなり盛り返した感がある。ポケモンっぽいけど。
フーコちゃんの可愛さ:★★★★★
評価:74/100
ドラえもん のび太のワンニャン時空伝:2004年
■あらすじ
のび太は川でおぼれていた子犬を助けてこっそり飼いはじめる。捨てられた犬や猫を拾ううち手に負えなくなったのび太は、3億年前にタイムマシンで連れていき、自活できるようにひみつ道具で進化させた。「あした、必ず来るからね」と約束してのび太達は現代に帰る。次の日、3億年前に向かうのび太達は時空の乱れにより3億年前から1000年経った世界に飛ばされてしまう。そこには犬とネコによる文明社会が築かれていた…
記念すべき、声優交代前の最終作。
タイトルが狙いすぎな気がして嫌な予感がしたが意外や意外、良作。
タイトルからなんとなく時代劇モノかと思ったら全然違った。舞台は3億年前の地球。
感動の押し付けな作風は相変わらず。しかし前4作のような安直さは感じない。
今回はゲストキャラがテキトーにワープしてくる形ではなく、ドラえもん達が過去に介入して因果を作り出している。よって、この世界と未来を守る責任があり、冒険にも身が入る。
その因果をつなぐのがおばあちゃんから受け継がれるけん玉なのがまた良い。
ここにきて、ドラえもんのキャラを一段深く掘り下げているのも面白いところ。
冒頭では彼女のネコとイチャイチャ。過去ではチャーミーちゃんにデレデレして色ボケ。そして本気中の本気、ハイパー化したドラえもんが観れる。
アニメーション※にも力が入っており、動きがあって楽しい。
※
個人的に気になるのはいつの間にかめちゃ可愛くなっているしずかちゃん。顔が大人びて、瞳にハイライトが入っている。
もう可愛いとかじゃなく、あざとくてエロい領域に入ってないか?
ただ、シナリオはめちゃくちゃである。
のび太達が犬猫を過去の地球に送り込んで現代の人間相当に進化させちゃったのはヤバい。これまでに登場したどの時間犯罪者よりヤバいことをやっている。
しかも、間違って進化させてしまったその犬猫人間を隕石によって都合よく追い出すのだから酷い辻褄合わせだ。
イチがいくら天才でも、1代でタイムマシンを作っちゃってるのはさすがにオカシイ。
しかも都合よく1000年後に飛ばされ、これまた都合よく若返った上に記憶を失い、同じ時代にのび太達が飛ばされてくる。
奇跡というにはあまりも不自然。
黒幕・ネコジャラの目的も謎。
人間を絶滅させるなんて遊園地を作れる程度の技術水準でもたやすいだろう。それ以前に3億年前には人間は存在しないわけだから、先に手を打てば戦う必要もない。
声優(泉谷しげる)が素人丸出しなのも残念。
このようにシナリオは突っ込みどころが多いが、それも「ドラえもん映画にはつきもの」と割り切れば気にならない範囲。
ようやくF先生没後の「新世代のドラえもん」が観れたという感じ。
大山ドラえもんの最後を綺麗に締めくくってくれたし、この先の作品が楽しみになってきた。
タイトルの意味わからん度:★★★★
評価:81/100
わさドラ
ドラえもん のび太の恐竜2006:2006年
■あらすじ
のび太は偶然、首長竜の卵の化石を発掘する。タイムふろしきで卵を孵化させてピー助と名付けて育てるが、次第に大きくなるピー助が現代で生きるのは困難だった。のび太はピー助の幸せを願い白亜紀の世界へ帰してやることにした。
1980年公開のドラえもん映画一作目「ドラえもん のび太の恐竜」のリメイク。
本作から声優・作画が一新された。
ドラえもんの声は[大山のぶ代→水田わさび]へ代替わり。
ここからの作品は以前の「大山ドラ」に対して「わさドラ」と呼ばれている。
どうやらこの先、わさドラのリメイクシリーズが始まるっぽい。
一作目から全部観てきて良かった。旧作と比較できるから楽しみも倍増である。
ちなみに2005年は映画が公開されていない。毎年公開の穴が空いたのはこの年だけ。
まず新しい作画・声優について、個人的には良いと思う。
ドラえもんの甲高い声には違和感が隠せないけど、まあ慣れの問題。
あと、のびパパがイケメン。
作画で目立つのは線画の変化。抑揚がある手書き風の線になっている。
デジタル作画に移行した後、前2作の線は味気なかったのでこれは嬉しい。
この線だとバケツ塗りできないから塗りの手間が倍増しそう。
ジャイアンの白目がなくて完全にゴリラな顔が好き。
しずかちゃんのエロ度はさらに増している。声も仕草も完全に女。
スネ夫にスカートを引っ張られて「離して、離してぇ~」。スネ夫はどこ掴んでんねん。
作風としては、前作までのハッタリが効いたアニメーションと「感動ゴリ押し路線」を旧作のシナリオに融合させた感じ。
本作には著名アニメーターが多数参加しているとのことで、前作からさらに攻めたアニメーションになっている。
キャラがグリグリ動きまくる、カメラも動きまくる。
もうどうやって描いてるのかわからない。2020年に観ても凄いと思える。
ハチャメチャなアクションから細かい仕草のひとつひとつまで凝っている。
特に小さいピー助ちゃんの動きは反則的に可愛いので必見。
美術背景はより写実的になり、3DCGが違和感なく効果的に組み合わされている。
具体的に面白かったシーンは以下。
のび家の晩飯、おかずがマグロの刺身とはずいぶんと渋い。
問題は、メインのおかずであるマグロの刺身をピー助にあげたのび太が何をおかずにしてご飯を食べるかだ。(←どうでもいい)
「鼻でスパゲッティを食う」は時代に合わせてカットされると思ったが、むしろ過激になっている。
なんと実際に鼻でスパゲッティを食わされた。ご丁寧に美味しそうなナポリタンを用意しているのが笑う。たぶんスネ夫が買ってきたんだろう。
ブロントサウルスがちゃんとティラノをボコってたのは良かった。そう、自然界では体重が重い方が強いのだ。
しかしティラノが単独でブロントサウルスの群れを襲うのはむちゃくちゃすぎる。ライオンが単独でキリンの群れを襲うかって話。
「地球環境の干渉や生態系、特に進化に対する影響~」
とドラえもんが敵に偉そうなことを言うけど、化石から復活させた日本の恐竜をアメリカに放り込んだ人にいわれたくない。
「ジュラシックパーク3」以来の、ティラノサウルスVSスピノサウルスのガチンコ勝負が実現!
主題歌「ボクノート」(スキマスイッチ)が作品に合っていて良かった。
F先生没後、いきなり歌へったくそな吉川ひなのや作品のイメージとかけ離れたSPEEDを起用したのは何だったんだと今さら問い詰めたくなる。
ピー助の声優、神木隆之介はミスキャストだと思った。
旧版も可愛くなかったが、今回は「声が低くて可愛くない」とかではなく棒読みだから冷めてしまう。これは芸能人起用の悪いところが出ちゃってて残念。
てか、ここに神木隆之介を使う必要性が皆無。誰も得しない。
総じて良い出来だと思ったが、賛否が分かれる部分もある。
論点は2つ。
1つ目は、攻めたアニメーション・演出が空回りしている感について。
生身でティラノと対峙する5人の勇気がもはや常軌を逸しているとか、悪役のアクが強すぎるとか、今風のハッタリが効いた過剰な表現になっている。
「出会い、友情、冒険、戦い、別れ」のプロット全てにこのような濃い演出とグリグリ動くアニメーションを盛った結果、シンプルなテーマ「のび太と恐竜」が見えづらくなっている。
そのため中盤からは「よくわからんけど、とにかく派手に動いてる」感じで、何のために何をやってるのか見失う。
「わさドラ」一発目で気合が空回りしている、新体制でこなれていない部分が出ている気がした。
場面によっては作画崩壊しているという批判もある。
特に目立つのは、ティラノがブロントサウルスを襲う場面。
ラフ画に見えるほど粗いし、動き重視の作画にしては動きがカックカクだ。
動きの質にも違和感があり、ティラノは体重6~9tとは思えない俊敏さだったり、ブロントサウルスのしっぽの動きはムチのようにしなっていたりとおかしなことになっている。
著名アニメーターそれぞれの個性をまとめきれていない。あるいは、別スタジオで作った単純に質が低い作画なのかもしれない。
俺はそれほどアニメに詳しくないので、実際のところはわからない。
とりあえず、作画の乱れは個人的には許せる範囲だったので良しとする。
2つ目の論点は、相変わらずの感動ゴリ押し路線について。
F先生没後の感動路線が鼻につく人にとっては、本作も苦手な感じだと思う。
俺も感動路線は苦手だが、もう馴染むことにする。
この路線になるのは仕方ない理由もある。
1980年は子供だけをターゲットにすればよかった。なぜなら当時の大人からすれば「ドラえもん?何それおいしいの」状態だから。
対して2000年以降は、ドラえもんファンの親世代が子供に観せる構造があるわけで、作り手は子供より大人を泣かせる必要がある。
親世代、特に母親にはあざといほどの感動ゴリ押しが効く。
一方、ただのアニメ好きにはアニメーションで唸らせる。
そんなバランスになっているのだろう。
感想をまとめると、
原作のイメージを守りつつ最新技術をフル投入してクオリティを追求。新体制一発目として十分なインパクトを残した良作。
今後の「わさドラ」の活躍が楽しみだ。
ピーちゃんの可愛さ:★★★★★
評価:83/100
この辺で評価点数についての内輪話、というか言い訳を。
一作目の名作「ドラえもん のび太の恐竜」を81点にしてスタートしたため、その後の作品にそれ以上の点をつけづらくなってしまった。
旧作が81点なのに本作を90点なんて言い出したらちょっと変なことになってしまう。
とはいえリメイク作品の点数上限を80点にするわけにもいかないので、旧作の点数以上になってしまうことがあるのをご了承いただきたい。
ちょうど今、一作目を95点ぐらいにしておけばよかったなと後悔しているところ。
ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~:2007年
■あらすじ
のび太達はひみつ道具で魔法の使える世界に来た。しかしのび太は魔法世界でも落ちこぼれだったため落胆してしまう。そんなとき、ドラえもんたちは魔学博士とその娘美夜子に出会い、悪魔が地球制服を企んでいることを知る。
「ハグしちゃおー♪ハグしちゃおー♪」
ということで、ついにきた「魔界大冒険」のリメイク。
旧作はループや途中エンドを組み込んだ意欲的な構成で、1980年代作品の中でも強く印象に残っている名作。
そんな名作のリメイクだけに期待値は上がっているので、出来をシビアにチェックしていくつもりだ。
まずはザックリと気になった部分を紹介。
テレビに映る魔法少女っぽいアイドルを見てデレデレするドラえもんとのび太。
ドラえもんはいつからこんなスケベキャラになったんだ?
「諦めの悪い奴だな!」とのび太への口調が厳しいのは笑う。原作初期のちょいブラックなドラえもんに寄せてるのかな。
前作で、新しいジャイアンの顔が好きって話をした。
ジャイアンの新声優(木村昴)も良い味出してる。
一方、ゲストキャラの声優がへったくそで萎える。
調べるとやっぱり芸能人起用だった。
・満月美夜子(相武紗季)
・満月牧師(河本準一)
・メジューサ(久本雅美)
の3人。
ちなみに俺は3人とも苦手。よりによってなんでこの3人なのか疑問。芸能界の政治力を感じる。
しずかちゃんのサービスシーンきたー!ありがとう、チンカラホイ!
スカートめくり描写は時代的にどうなるかと思ったが、むしろパワーアップしている。
画面に純白のパンツがドアップで映ったときは何かの間違いかと思ったほどだ。のび太が変な場所を触ったりもする。
前作の鼻スパゲッティといい「わさドラ」は攻めの姿勢を見せてくれる。今後のしずかちゃん風呂シーンが楽しみになってきた。
仲直りシーンはやはり旧作に軍配が上がる。
2人がカップルのように見えてくる、あの喧嘩の可愛さは圧倒的だった。
でも、
・のび太をとっさにかばうのびママ
・スネ夫をとっさにかばうジャイアン
のように本作ならではの印象的な場面もある。
石像になってからの展開が早すぎる。
のび太石像が意地悪されているところなど、もっとじっくり見せてほしかった。
四次元ポケット内のシーンは、必要かどうかはともかく面白い。
「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」(2000年)、「サマーウォーズ」(2009年)っぽい。
こういう、CGとパステルな色味を組み合わせた先鋭的な表現が当時のトレンドだったのだろう。(今も?)
ドラえもん屈指のトラウマキャラ・メデューサにまさかの設定が追加された。
追加するのは良いけど「これいる?」って感じで活かされていないのが残念。
ドラミちゃんが7人の魔法使いの1人として最後まで活躍する展開はアリだと思った。
旧作のそっけなさも良いけど、お兄ちゃん(ドラえもん)が頼りないから心配してついてくる方が自然な気がする。
仮に本作の展開が元祖で、旧作の展開がリメイク後だったとしたら「なんで途中退場させるんだ」と批判されていたのではないだろうか。
結局、のび太のチンカラホイはしずかちゃんのスカートめくり専用なのが笑う。どんな落ちこぼれ方やねん。
総じて、前作に引き続きクオリティは高い。単体で観れば満足できる作品に仕上がっている。
しかし、旧作と比べると話が変わってくる。
「のび太の恐竜2006」から2作観て、「わさドラ」リメイク作品の難点が明らかになってきた。
論点は3つ。
①明るい作風の感動路線
旧作の魅力は魔界の気持ち悪いような雰囲気・恐怖感。
ドラえもんが「だったらもしもボックス使えばいいじゃん」と軽いノリで魔法世界に変えて物語をスタートさせて、気がついたら深みにハマっている。とんでもない事態になっている。
そんな、気軽に観ていた観客を魔界に引きずり込むような構成が秀逸だった。
旧作の感想を振り返ると「中盤はちょっとグダっている」と書いているが、今考えるとそれが効いていたのだ。
対して本作は魔法世界での日常→探検があっさり終わるし、全体的にポップな演出なので旧作の引き込まれるような恐怖感がない。
やはりいくらアニメーション技術が進歩しても、昔の作品にしか出せない味ってのはある。
②要素・演出を盛りすぎ
メデューサの新設定や腹痛のくだりなど、ちょっと盛りすぎじゃないかと。
難点は前作と同じ。演出を全て豪華にした結果、何が本筋なのかを見失う。
まあ今どきの観客は刺激に慣れているせいで昔の観客より飽きっぽいだろうから、興行的にはこれぐらい盛った方が良いのかもしれない。
③ゲストキャラ声優に芸能人を起用
芸能人でも作品の魅力につながっていれば良い。しかし前作のピー助ちゃん(神木隆之介)に引き続き本作もダメ。
特にヒロインにあたる美夜子(相武紗季)は、のび太に喝を入れて精神的な成長を促す非常に重要な役どころ。それがこの棒読みではキツい。作品の魅力を大きく損ねている。
感想をまとめると、「やっぱり旧作は偉大だ」と確信した。
前作と同様、リメイク版を観ると無性に旧作が観たくなってくる。
リメイク版を観るときは旧作のことをいったん忘れて、最新のアニメーションを楽しもう。
ただし声優の芸能人起用、テメーはダメだ。
しずかちゃんのサービスシーン攻め度:★★★★★
評価:80/100
ドラえもん のび太と緑の巨人伝:2008年
■あらすじ
のび太はひみつ道具を使い、苗木からペットのような生き物・キー坊を作る。キー坊は家族や友達と打ち解け、のび太達は楽しい日々を過ごす。しかしあるとき謎の惑星に迷い込んでしまう。そこに住んでいる植物型宇宙人から親切なもてなしを受けるのび太達。一方で地球の人類を根絶やしにする、恐るべき計画が進行していた。
「のび太のワンニャン時空伝」以来4年ぶりの、リメイクではない完全新作。
原作はないが、短編「森は生きている」「さらばキー坊」を原案とした作品とのこと。
結論から言うと、キツい作品。
ここまでドラえもん映画28作観てきて初めてキツいと思った。
しばらくドラえもん映画は観たくない気分にすらなった。
まずメッセージ性が強い、説教くさい作風は「今回これでいく」と決めたのだから良しとしよう。
しかし、そこで可愛いゲストキャラを前面に出して利用するのは卑怯だと思う。
こんなに「可愛いキャラを汚していいんですか!?」と人質に、盾にしているようなものだから。
例えば、同じく環境問題を訴える「アニマル惑星」「雲の王国」にはこんなあざといゲストキャラはいなかった。
(キー坊は「雲の王国」にちらっと出ている)
おなじみの5人がいつも以上に命がけと絶望的な状況を背負う。
さらにピンクのもや、一作で2度壊れるドラえもんなど、観客にトラウマを与えるほど強烈な描写。
その上で世界の命運をかけた命がけの、まだ見ぬ世界を冒険するスリルがあった。
こうしたF先生の作品には子供達楽しませた上で訴えかける、作者の覚悟がにじみ出ている。
だからメッセージ性を脇において楽しめるほど作品に魅力がある。
対して本作は「ゲストキャラのキーちゃん可愛いでしょ?イジメちゃかわいそうでしょ?」と訴えかけてくる。このやり方は卑怯だ。
地球環境に文句を言っている植物には明らかに「農作物」みたいな奴がいるのも気になる。
農作物は人間によって繁栄している。農作物が人間を農耕民族にして利用している説もあるぐらいだ。(参考:「サピエンス全史」)
その農作物達に文句を言われる筋合いはない。
あとゴミの不法投棄は一部の無法者と行政の問題なので、「人間の愚かさ」みたいな話とごっちゃにしないでほしい。
ようするに、「子供に一方的な(間違った)主張を刷り込むな」と言いたい。
主張を刷り込むのではなく、考えるきっかけを与えないと。
物語のキーになるキー坊ちゃんはたしかに可愛い。
のびママもキー坊ちゃんの可愛さに一瞬でやられてしまい、珍しくペット的な存在を許しているほど。
「のび太の恐竜」ピー助の二番煎じ感はあるが、最初の10分ぐらいは可愛さに魅了される。
しかし、映画の最後までひたすらキーキーキーキー叫ぶのがツラい。
関西人なら「キーキーキーキーうるさいねん!」とツッコミを入れたくなるだろう。
感情が伝わらない、全く同じトーンでキーキーが押し寄せる。全部でキーを何回言ったのか誰か数えて教えてほしいぐらい連呼する。
これは「アニマル惑星」「雲の王国」とは違う意味でトラウマになる。
俺は中盤あたりで頭が痛くなってきたのでイブを飲んだ。
キーキーにもっと抑揚をつけるとか、早く第二形態に移行して鳴き声を変えるべきだったと思う。
キーキー連呼のストレスの前には、ヒロインに声をあてている芸能人(堀北真希)の棒読みすらどうでもよくなってくる。
そのヒロインはもはや存在する意味がわからない。何も関わらない、何の力もない。そして性格が悪い。
このように、メッセージの伝え方が卑怯、キーキーうるさい時点でウンザリ。
その上で話が意味不明。シナリオがぶっ壊れている。
簡単に言うと以下のような流れ。
「いや~すんません、手違いで地球のあなた達をこっちに送っちゃいました」
→「こいつらは人類絶滅に必要だからひっとらえろ!」
→「えーい、皆殺しじゃぁ~!」
のび太達を確保する必要無くね?と視聴者が戸惑っている中、後半はもうなりふり構わず強引に突っ切る。
作り手が観る側目線の客観性を失っていると感じた。
地球に来ていきなりキー坊が「緑の使者」とか言われるのが謎すぎる。
今までそんな話一切していなかったじゃないか。そもそも、キー坊はのび太の気まぐれで地球の植物をドラえもんの道具で変化させた生き物なのに、それがなぜ「緑の使者」なのか。
最後は、押し寄せるゲル状の謎物体と圧倒的攻撃力を見せつける巨木が戦う。
何と何が、何のために戦っているのかわからない。わかるのは「ナウシカっぽい」ってことだけ。
声優の芸能人起用といい、わさドラはジブリ的な立ち位置を目指しているのだろうか。
ところで、緑の巨人はどこにいるの?
ここまで散々に言ってきたが、部分部分で面白い場面はある。
・キー坊を見て「なにこのラジコン」と、生き物全てがラジコンに見えてしまうスネ夫
・土手に現れたしずかちゃんがバイオリンを持っている。逃げろ~
アニメーションは相変わらず頑張っている。
しかしこんな作品に仕上げられたらアニメーターも報われない。
個人的な評価点数は、ここまでマンネリが極まった「ロボット王国」が最低だったが、本作にはそれ以下の最低点をつけざるを得ない。
なぜなら本作はマンネリ以前に根本がぶっ壊れているから。
俺は「翼の勇者たち」「ロボット王国」のようなマンネリ作品に厳しいが、マンネリを踏まえた上でそれを超えてほしいのでありぶっ壊してほしいわけではない。
「わさドラ」はリメイク2作を観てわりと信頼していたので、不意打ちを食らった。信頼を裏切られた気分。
リメイク2作の後、いよいよ「わさドラ」が本性を現したのか?
今後の作品が不安になってきた。
キー坊の鳴き声トラウマ度:★★★★★
評価:60/100
ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史:2009年
■あらすじ
コーヤコーヤ星の少年・ロップルのワープ事故により、のび太の部屋とロップルの宇宙船が繋がった。のび太はドラえもんと一緒にコーヤコーヤに行き、住民と仲良くなる。しかし資源の独占を企むガルタイト鉱業が、コーヤコーヤ星から開拓住民を追い出そうとしていた。ロップルたちの生活を守るため、のび太達はガルタイト鉱業に立ち向かう。
前作でついに映画がぶっ壊れてしまい、ドラえもん映画にゲンナリしてしまった。
しかし、前作は何か良くないことが重なって起きた事故だと割り切り、気を取り直して次にいこう。
今回はまたリメイク作品。
ドラえもん映画2作目、あの「宇宙開拓史」がきた。
まず気になった小ネタから紹介。
ジャイアンの顔が変わってしまった。白目無いのが好きだったのに。
頭の形が角刈りみたいだし、口がキャンタマみたいな形になっている。
中学生にちゃんとモノ申すのび太カッケェ!
それができるのになぜジャイアンには何もいえないんだ。
しずかちゃんのバイオリンは相変わらず。
調べたところ、しずかちゃんのピアノは親にやらされているだけであり、本人はバイオリンの方が好きらしい。好きこそ物のなんとやらと言うが、しずかちゃんには当てはまらないようだ。
ドラミちゃんがかわいい。たぶん猫型ロボットの中で最強クラスの美少女だな。
のび太よ、さすがに「ワープ」を知らないのはオカシイだろ。どこでもドアとタイムマシンで散々やってきただろ。
大塚明夫さん演じるギラーミンはいい味を出している。のび太との一騎打ちもカッコいい。
どうでもいい話はここまでにして、ここから重要な話をする。
大筋はよく出来ていたと思う。違和感なく最新の映像になっている。
しかし「新・魔界大冒険」で言及した「わさドラ」リメイク作品の難点がまた顔を出した。
(アニメーションもわさドラ一作目「のび太の恐竜2006」に比べれば、普通に綺麗なだけで動きが少なく、やる気を感じない。)
追加要素と演出を詰め込んだことで、本筋が薄くなっている。
モリーナとその父親など、リメイクで入った新要素がとってつけたような蛇足。メデューサの悪夢再びだ。
蛇足を追加した分、本筋が圧迫されている。
結果、全体的にメリハリなくサクサク進みすぎて世界にじっくりひたるヒマが無い。
特にチャーミーちゃんとの出会いがあっさりしすぎて引きが弱い。中盤も新キャラに押されてチャーミーちゃんの出番が少ない。
チャーミーちゃんだけでなく、コーヤコーヤ星の印象も薄くなっている。
住民を追い出そうとする、ガルタイト鉱業の企業ヤクザ的側面が全く描かれていない。敵はただの海賊もどき。
作品の世界観を広げる役割を果たしていたトカイトカイ星のシーンや、一度観たら忘れられない敵の巨大戦艦・ブルトレインがカットされているのも痛すぎる。
別れも異様にあっさり。
さよなら~と畳をバタンと閉じて終了。旧作の「またいつか会えるよね」的な余韻がない。
てかモリーナの父親はどういう訳で復活したんだ?ちゃんと観ていたつもりだけど全く覚えていない。
このように物語の序盤・中盤・終盤と隙が無く蛇足が仕込まれ、肝心な本筋がバッサリいかれているので感情移入できない。
さらにゲストキャラ声優の芸能人起用も相変わらずで、今回も完全に裏目に出ている。
わさドラ3作続けて芸能人声優は不評のはずだがまだ懲りないようだ。
新キャラのカリーナ、じゃなくてモリーナ(香里奈)の棒読みがひどすぎる。「ナニシニキタンダイ!」。
あまりにも棒読みなので、俺は後半までモリーナはロボットだと思っていた。
しかもこの棒読み女はのび太達を敵に売る。カリーナ&モリーナ最低やな。
「汚い地球に帰るのか?」って余計なお世話だ!
モリーナの影に隠れているクレム(アヤカ・ウィルソン)も酷いもんだ。「ノビタサンッテツヨイノネ」。
総じて、何をとっても期待値を上回ることはない作品。全体的に少し下回ってきた。
リメイク版を観る価値はない、とまでは言わないけど旧作の方が良いのは間違いない。
クレムの棒読み度:★★★
モリーナの棒読み度:★★★★★
評価:72/100
ドラえもん のび太の人魚大海戦:2010年
■あらすじ
スネ夫の自慢話を聞いてダイビングがしたくなったのび太は、陸上に架空の海を作って遊んでいた。そこに人魚族の姫・ソフィアが迷い込んでしまう。人魚族は元々異星人で、怪魚族によって汚染された星から地球に移住していた。そして今、人魚族の宝を怪魚族が狙っているらしい。怪魚族が宝を手に入れたら宇宙全体が彼らの手に落ちる。事情を聞いたドラえもん達は人魚族と協力して怪魚族に立ち向かう。
映画化30周年、映画シリーズ通算30作目、漫画連載開始40周年のメモリアルな作品。
リメイクではない、「緑の巨人伝」ぶりのオリジナル。(原案は「深夜の町は海の底」)
大筋は「海底鬼岩城」に近い、海中の冒険。
でも「海底鬼岩城」とは比べない方が良い。ツラくなるから。
ところでOP曲「ハグしちゃお~♪ハグしちゃお~♪」は「新・魔界大冒険」一作限りなの?あの曲好きだったんだけど。
さて、本作を観た感想をザックリ言うと凡作、いや駄作である。
「わかりやすい勧善懲悪な話のはずなのに、何をやってるのかよくわからない」
という妙な感覚を味わった。
「これで伝わるやろ」と観客をナメている。シナリオに筋が通っていない。
「ワンニャン時空伝」で盛り返したと思ったのに、またドラえもん映画が観客をナメだした。
以下、そう思った理由と気になったことを列挙。
まず、地上を水中にして泳ぐ絵面は新鮮だが、そもそも何やってんのこれ。泳ぎたいなら水中に行けばよくね?
「ダイビングがしたいなら、どこでもドアで普通にダイビングしに行けよ」なんて思ってはいけないのか?
ソフィアさんが地上に出たのはのび太のせいだろ。なんで自分から地上に来たみたいな話になってんの。
一番不自然なのはしずかちゃんがはぐれる場面。
しずかちゃんはなぜずっと隠れているんだ?悪い予感がしたらしいが、結果的に全てが裏目に出ている。
シナリオの都合でむりやり別行動にさせた感が半端ではない。
しずかちゃんが行方不明になったのに、のび太達があまり心配していないのも不自然。なんならしずかちゃんの存在を忘れている。
敵ボスをひと目みた瞬間、ドラミちゃんが「な、なんて醜いの…」とつぶやく。
それはひどいだろ。そんな言い方ってあるか?
F先生なら、見た目で相手を罵るような台詞は絶対に言わせなかったはずだ。子供が観たらどう思うか考えてほしい。
てかそんな醜くないし、むしろカッコいいし。
しずかちゃんを傷物にしたのも許せない。
電気ショックにより肌に赤い斜線が入って明確に傷ついている。最後は窒息して気を失うし、もう踏んだり蹴ったりだ。
しずかちゃんに傷をつけることはドラえもんのタブー。悪者の奴隷になってしまった「ドラビアンナイト」ですらしずかちゃんに手は出さなかった。
本作は「ドラえもん」の禁忌に触れた。一線を超えた。
ジャイアンは叫ぶだけで敵を怯ませた。もう歌とか関係なく単純に声量が凄いのか?
ソフィアさん、一騎打ち負けるんかい!
そこはソフィアさんの気持ちを表現するために勝ってほしかった。
最後はなぜか、のび太がフライを捕り損ねたところで終了。
前作「新・宇宙開拓史」と同じく、冒険の終わり、ゲストキャラとの別れの余韻がない。
そこは空の雲の形を観て人魚が泳ぐ様子を思い出すとか、川の魚を観て思い出すとか、色々やり方があっただろうに。なんでこの終わり方?
総じて「緑の巨人」とは違う形で本作もシナリオが破綻している。でもキーキーうるさくない分マシ。
調べたところ、原案「深夜の町は海の底」は宝探しの謎解きやシュメール文明の謎を絡めた、F先生らしい知的好奇心あふれる作品だったのだとか。
しかし本作では子供ウケを狙ったテイで、面白そうな要素は全カット。
「太陽王伝説」~「ふしぎ風使い」のように、ドラえもん達が別の映画にゲスト出演している状態になっている。
どうも「わさドラ」映画はオリジナルで素の実力が出ている気がする。
ドラえもんの本質を置き去りにして毎年作品を作っている感じだ。
ドラえもんが人を引きつける本質、それは小学生の日常(リアル)と非日常(ファンタジー)が重なる奇跡。知的好奇心に任せた予定調和ではない冒険、そのワクワク感ではないだろうか。
ムリして毎年映画を作らなくていいから、いったん落ちついてドラえもんの本質を見直してほしい。
しずかちゃんが気の毒度:★★★★★
評価:65/100
映画シリーズ通算30作目の「人魚大海戦」で一段落ついたところで、F先生没後の作品評価を振り返ってみよう。
「南海大冒険」のヒットにより、F先生没後も毎年ドラえもん映画を作ることが決定する。
しかし、F先生の尖ったセンスが失われたことで次作「宇宙漂流記」からさっそく雲行きが怪しくなり、シリーズはマンネリの一途をたどる。
マンネリ作が3連続で続き「もはやこれまでか…」と思ったが、旧声優最終作となった「ワンニャン時空伝」では意地を見せ「次世代のドラえもん」といえる作品に仕上げてきた。
作画・声優を一新して「わさドラ」が始まる。
新体制に移った影響でシリーズで初めて1年の休止期間を置いたが、「ワンニャン時空伝」の上り調子を引き継ぎ、進化したアニメーションを見せたリメイク作「恐竜2006」でわさドラは上々のスタートをきる。
要素を盛りすぎて本質を見失ったり、ゲスト声優が棒読みで邪魔をしながらも次作「新・魔界大冒険」も大筋は良い出来。
このリメイク2作により「わさドラは安心して観れそうだ」と思ったが、オリジナル作品「緑の巨人伝」が色々とぶっ壊れており、わさドラの今後が急に不安になる。
安定していると思っていたリメイク作品すら「新・宇宙開拓史」では改悪が目立ち、次作のオリジナル2作目「人魚大海戦」で疑念は確信に変わる。
ドラえもん映画がまた観客をナメだした。マンネリ時代再びである。
よって現在、このままではヤバいと感じている。
一時期はドラえもん映画を観るのがツラくなり記事を投げ出しそうになった。
しかし、低迷期がずっと続くことはないとも思っている。
「ワンニャン時空伝」のようにどこかで上り調子の波がくるはず。そのタイミングを楽しみに待つ気持ちが、視聴するモチベーションになっている部分もある。
1980年の作品から続いてきたドラえもん映画を観る旅もいよいよ残り10作をきった。今後の巻き返しに期待しよう。
ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団:2011年
■あらすじ
のび太は、どこからか送られてくる巨大ロボットの部品を鏡面世界で組み立てる。完成したロボットで遊んでいるうち、ロボットに兵器が組み込まれていることを知ったのび太達はロボットの存在を秘密にすることを誓う。しかしのび太は謎の少女リルルにロボットのことを話してしまう。リルルは地球征服を企む鉄人兵団のスパイだった。
前作で「どこかで上り調子の波がくるはず。そのタイミングを楽しみに待つ気持ちが、視聴するモチベーションになっている」と言った。
断言しよう、今がそのタイミングだ。時は来た!
旧作のイメージを崩さず、足りない部分を補完したハイブリッドな作品に仕上がっている。
まず素晴らしいのは、現代を舞台にしてのび太達の日常をしっかり描いている点。
その隠し味になっているのはのびママ。何気ない場面によく出てくる。
小学生の日常といえば母親だ。そこを丹念に描くことで普段の生活のリアリティが出ており、その中にあるファンタジーが際立つ。
わさドラリメイク作品の難点といえる蛇足な演出・要素が無いのも良い。安心して観れる。
元々、旧作が要素てんこ盛りなので足さなくても十分。
蛇足はないがキーになる新要素はある。それがコントロールロボ・ピッポ(ジュド)。
旧作では謎の玉AIだったが、本作ではのび太に改造(?)されてメインキャラとなった。
ボーリングの玉を被ったヒヨコみたいな、ドラえもん史上屈指の可愛い見た目をしている。
最初はツンツンしている性格がだんだんとデレデレに変わっていくのも見どころ。
それにしてもリルルとピッポが素人の芸能人声優じゃなくてよかった。ここが素人ならマジで作品が終わる。
わさドラは一作目「恐竜2006」からのび太とペット的な生物との絆を重視している。
本作でもそれを引き継ぎ、しずか・リルルの友情要素により宙に浮いたのび太のボーイミーツガール要素を、のび太・ピッポの絆で補うことに成功。
旧作に足りない部分がわさドラならではの味でしっかり補完された印象だ。
反面、のび太・ピッポの絆を描くことで、のび太・リルルの恋愛要素は旧作からさらに薄くなった。
旧作で最も重要なシーンのひとつ、のび太とリルルのタイマンにピッポがしゃしゃり出てくる。しかもリルルは問答無用でのび太を撃つ。
これには旧作派が黙っていないと思うが、のび太がメインで絡むのがピッポ・リルルのどちらかわからなくなるぐらいならバッサリいってもらった方がスッキリするので良しとしよう。
一方、リルル・ピッポの絆もしっかり描かれており、旧作ではメカ側で独りぼっちだったリルルのキャラが深まっている。
また、ピッポが人間と仲良くするドラえもんを見て違和感を持つのも重要な点。
メカトピア側と、人間とロボットが共生する地球側のコントラストが際立つ。これにより旧作の感想で述べた隠れテーマ「未来の地球・メカトピアの鏡写しになった関係」がはっきりわかる。
アニメーションも良い。
グリグリ動くカメラワークのハッタリ効いた感じではなく、引きの固定カメラで魅せる安定感のある作画になった。その中で細かい演出・仕草が効いている。
木製机にもたれかかるドラえもんの頭が柔らかそうに凹むとか、のびママがのび父にミニトマトと食べさせてあげてラブラブとか。
リルルは問答無用の美少女になった。
ザンダクロスのビームは迫力抜群。一発で超高層ビルが倒壊し、攻撃力が半端ではないことがわかる。
空気砲はライフリングまで描き込んである。
名シーン「なんだいあんなロボット~うらやまじぃ~!」の完全再現も嬉しい。
ここまでベタ褒めしてきたが、気になる点はある。
リメイクなので観客も筋書きがわかっていることを前提にしているのか、導入部分はあっさり流している。
鏡面世界の導入とロボット完成までがあっさりすぎて俺はのび太達が鏡面世界に行ったことに気づかず、ザンダクロスは現実世界の庭で作られ現実世界で大暴れしていると思っていた。
ただこれは作品のせいではなく俺の集中力が足りないだけかもしれない。
では本作が傑作であることをわかって頂けたところで、以下はオマケとして本作の見どころを時系列順に紹介。
夏に順応した体かつ半袖で北極に行った上、タケコプターで空を飛んでしまうのび太。寒くないのか?
のび太はよくあの足パーツから完成形が巨大ロボなのがわかったな。スネ夫ロボ・ミクラスに影響されすぎだろ。
ザンダクロスのデザインは百式臭が薄くなっている。個人的にはどっちのデザインでもいい。
1人だけ学校に残され、先生に書き取りを課されて何かを反省させられているのび太は帰り道でリルルと出会う。
そのとき存在をスルーされたスネ夫が見ず知らずの美少女リルルちゃんにミクラスで攻撃しようとするのは笑う。
ここ数作、スネ夫のヘタレ属性が強化されている。もう最初から最後まで冒険に乗り気ではない。
ジャイアンはピッポの歌を認めるので、歌を聞く耳は持ってる模様。じゃあなんで歌が桁外れに下手なのか謎だ。
わわわーリルルちゃんの裸体が映ってしまった!
これがやたらと生生しい。
生身のしずかちゃんがダメならロボットのリルルを使う。制作側のサービスシーンに対する執念が感じられる。
総じて、良く出来ている。ここまで観てきたわさドラの中でも頭ひとつ抜けた傑作。
リルルのロボットらしいクールビューティー感が薄れているとか、旧作のミクラスの出番が無くなっているなど、人によっては気になる点もある。
しかし、リマスターではない「リメイク」として新しい何かを表現するためには何かを捨てなければならない。
本作の取捨選択は適当だったと思う。
旧作が素晴らしいことも改めて実感できるし、その上で新しい見どころがある。
「リメイクとはこうあるべきだ」と感じさせてくれた。
正直、副タイトル「はばたけ 天使たち」の意味はわからなかった。
でも本作が傑作であることはわかる。
リルルちゃんのサービスシーン攻め度:★★★★★
評価:91/100
ドラえもん のび太と奇跡の島 アニマルアドベンチャー:2012年
■あらすじ
カブトムシ相撲で負けたのび太は300年前のニュージーランドからもっと大きなカブトムシを取ろうとする。しかし間違って絶滅危惧種・ジャイアントモアを捕まえてしまった。のび太は絶滅動物を保護する「奇跡の島」に行き、ジャイアントモアを保護してもらい、ついでに島のカブトムシを持ち帰る。しかしそれがバレてのび太+αは島へ強制連行される。
前作で「断言しよう、今がそのタイミングだ。時は来た!」と言ったな、あれは嘘だ。
わさドラのオリジナル3作目。
ドラえもん映画で初めて、のび太・のび父の絆をメインに描く作品。
それどころか、のび父が2行以上喋るのが初かもしれない。
その出来は、F先生没後の大山ドラで散々言及してきた「異世界シナリオ」の難点を最大限に発揮している。
途中から本当に何をやっているのかわからない。
無意味にゲストキャラが多くて目立ちすぎなのが問題。ドラえもん側の存在感が薄すぎる。
奇跡の島に行ってからはドラえもん側が退場し、ゲストキャラとゲストキャラの掛け合いが続く。
「俺は一体なにを見せられているんだ?」感が過去最高。
これはもはや「ドラえもん」映画ではない、よくわからない世界観のオリジナルアニメだ。
ゲストキャラが活躍しすぎな以前に、シナリオがそもそも意味不明。
のび太はカブトムシ相撲で負けたのが悔しいんだよな?それがなぜ絶滅危惧種と絡んで奇跡の島に行くことになったんだ?
ジャイアンよ、親をからかうのは反則だろ。
しかものび父はバカにされるようなことを何もしていない。優しいだけだ。
ジャイアンよ、小学生だからってあまり調子に乗りすぎると中学・高校生になったころ「いやいや、ジャイアン家なんて古い剛田商店で共働きじゃねーか。俺(のび太)の家は綺麗なマイホームで専業主婦やで。どっちの父親が年収多いか、頭の悪いお前にもわかるよな?」ってマウントをとられるぞ。だから家や親をディスるのは良くない。
この導入の時点で話の流れについていけないため戸惑う中、のび太そっくりのキャラが登場して別のドラマが平行する。
意味がわからない上に同時平行である。
開始20分で心が離れた。
実はのび太そっくりのキャラは過去から連れてきたのび父なのだが、声がまんま野沢雅子なのでやさしい声ののび父のイメージとまるで違う。
どうせ記憶を失うのでシナリオ的にのび父である必然性も薄い。
よって「コイツはいる意味があるのか?」と疑問に感じる中、さらにゲストキャラが山のように押し寄せる。
これはもう「ドラえもん・のび父・オリキャラ」3勢力が、シナリオの覇権をかけて三つ巴で戦っている状態だ。
戦わずに力を合わせてくれ。
肝心のドラえもん側はキャラの味付けがマズい。過去作で積み上げてきたものが完全崩壊している。
というのも、のび太がガチで情けない。
よってガチでしずかちゃんに嫌われる。今までのように「のび太さんのエッチ!」とかじゃなく、情けないから嫌われる。
いやいや、そのヘタレ役はスネ夫にしてくれよと。
一方、スネ夫は不自然なほど頼もしい。前作のスネ夫から180°性格が変わっている。
ここまでドラえもん映画を31作観てきたから言わせてもらう。
のび太は情けない奴だがやるときはやる男なのだ。ガチで情けない奴ではない。
決してしずかちゃんに説教される男ではない。しずかちゃんのチアガール姿で奮起するスケベ男でもない。
例えば「鉄人兵団」ではリルルを撃てなくてリルル自身に「情けない!」と言われたが、それはのび太が優しくて良い奴だからそうなる。撃てないことでのび太が魅力的に見える。
対して本作はどうだ。仲間をさらわれて一刻を争うのに冒険に対してビビり倒す。
この描写にのび太の魅力は感じられない。
「映画ではカッコいいのび太」がマンネリだから変えたのだとしたら、変え方を間違っている。
チアガールのしずかちゃんを見て頑張るのび太なんて誰が見たいんだよ。
不愉快・破綻している点では「緑の巨人伝」が最強だが、見るべき部分がない点では本作の方が上である。
わさドラはオリジナル作品でコケるクセをそろそろなんとかしてほしい。
毎作感想を書く方の身になってくれ。一作ごとに出来が大きくガタつくと、辻褄のあった感想が書きにくいから困るぞ。
チアガールしずかちゃんの「これじゃない」感:★★★★
評価:59/100
ドラえもん のび太のひみつ道具博物館:2013年
■あらすじ
怪盗DXに鈴を盗まれたドラえもんは、5人で鈴があると思われる「ひみつ道具博物館」へ行く。果たして怪盗DXの正体とその目的とは。
ドラえもん映画33作目で初の怪盗モノ。
まず、まだ手を付けていないネタがあったことに驚いた。もはやあらゆる冒険パターンを制覇したと思っていたので「おお、そうきたか!」と唸る。
リメイクではないオリジナル作品。
わさドラのオリジナル作品が、初めて2作連続で来た。
これまでの経緯を見る限り本作も駄作と考えるのが自然なので不安だが…
結論からいうと、素晴らしい作品。
制作者はマンネリ打破を目指して本気で勝負している。
わかりやすい悪役とドンパチするだけのマンネリ化したテンプレに頼らず、ちゃんと作り込んだシナリオを持ってきた。
ではまず、本作の見どころをざっくり紹介していこう。
冒頭、鈴を盗まれてしまうドラえもん。
やっぱり鈴が無いと見た目的に物足りない。何が欠けてもダメなドラえもんのデザインは完成度が高いことがわかる。
鈴なんて未来デパートで売っているが、ドラえもんは「僕はあの鈴じゃなきゃ嫌なの!」という。
その理由が物語の引きであり、キーになる。
鈴は見た目と気持ちの問題かと思いきや、ドラえもんは鈴を外すと「どら猫化」するので実は死活問題だったりする。
今までの映画はのび太がメインであり、ドラえもんはサポート的役割だった。
対して本作はドラえもんの存在感が半端ではないのが秀逸。
気を抜くと「どら猫」状態になるので常に自己主張している。そしてこの「どら猫」状態のポンコツっぷりが最後にひっくり返されるのも良い。
それにしても、元々がポンコツなのに鈴がないとよりポンコツになるなんて、ドラミちゃんから見たらどうしようもない兄貴だな。
ドラえもん達は、鈴があると思われるミュージアムへ行く。
エントランスに初期型どこでもドアや、ひみつ道具を作った博士の像が置いてあり、ひみつ道具の背景を掘り下げているのがさっそく面白い。
その後も、ロケットや銀河超特急など、どこかで見たような道具が沢山登場するので歴代作品を観てきた人はニヤりとできる。ファンサービス精神にあふれている。
道具に対抗してカウンター道具を出す、メタ的な勝負を繰り広げるのも面白い。
初対面の相手をボロカスに罵るジャイアンには引く。
前作ではのび父をバカにしてたし、わさドラになってからジャイアンの印象悪化が止まらない。
ダクトを通るジャイアンのお尻をアップで映すカメラワークは誰得。
本作最大の見どころはなんといってもしずかちゃん。
タイトルで検索すると関連ワードにまず「しずかちゃん」が来るほどだ。
制作者はサービスシーンも本気で勝負している。しずかちゃんがとんでもないことになる。エロゲーみたいになる。
どーでも良いシーンなのにやたら気合の入った作画なのが笑う。
このシーン、地上波で放送されたときに光で隠れる修正が入り「逆にエロくなってる」といわれたらしい。次に放送されたときは全カットされたらしい。
のび太は道具で変装するがしばらくその能力を全く使わないので、服装が無意味に浮いている。
事件が起きるのは後半にさしかかる1時間過ぎた後。のび太が活躍するのはそのさらに後。しかも道具を使った上でしずかちゃんの方が頭がキレる。
よって今回ものび太はダメなのか…と思ったそのとき、のび太がフラグを全回収する。もう全部かっぱらっていく。
これが非常に爽快。限界までタメにタメたからこそできる演出だ。
ミュージアムで色々とハチャメチャなことがありながらも、のび太とドラえもんの絆を描く軸がしっかりしているから安心して観れる。
のび太とドラえもんの出会いと仲良くなる様子から、相手思いで優しい、他人のために必死になれるのび太の魅力がしっかり描かれている。
そして最後の最後、のび太は道具に頼らす起死回生のアイデアを出す。
「やっぱりのび太はこうでないと!やるときはやる男なんだよ!のび太、お前がナンバー1だ!」
と、前作がガッカリのび太だったこともあり感極まってウルっときた。
このように素晴らしい作品である。
とはいえ、難点がないと言ったら嘘になる。
一番気になるのは、ハルトマン少年がペプラ博士に肩入れする動機が薄い点。
ペプラ博士が本当に悪いやつなのか最後まで曖昧にしているが、結局はどう見ても悪いことをやっている。
ミュージアムはハルトマン少年のおじいさんであるハルトマン博士の象徴なわけで、それをぶっ壊すようなことにハルトマン少年が加担するのは不自然。
最後はペプラ博士も心を入れ替えて状況を収めようとするけど、そもそも全部アンタら3人のせいだから解決してもチャラにはならんぞ。
この敵役3人の中途半端な立ち回りは、平和な作品を目指して明確な悪役を作らないために工夫した結果だろう。
たしかに気にはなるけど、本作はドラえもん側のドラマが濃厚で敵側はオマケのようなもの。だから敵側の不自然さは作品の大きな欠点にはならない。
「異世界に行って大冒険!最後にわかりやすい悪役を倒す!」的な派手さは無いので、一見小粒な作品に見える。
しかしその内容は歴代作品の中でもかつてないことをやっている。ここまで観てきたわさドラの中で間違いなく一番の勝負作である。
そのあらゆる描写がドラえもんの世界観を上手く掘り下げることに成功しており、総じて「こういうオリジナル作品が欲しかった」といえる傑作に仕上がっている。
ラストシーン最高かよっ!
ジャイアンの印象の悪さ:★★★★
しずかちゃんのサービスシーン攻め度:★★★★★☆
評価:92/100
ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~:2014年
■あらすじ
春休み、のび太は胸躍るような大冒険を求めて秘境探しをする。膨大な写真からアフリカの秘境を探し出したのび太は、みんなと野良犬・ペコを引き連れて冒険に出かける。
「ドラえもん のび太の大魔境」(1982年)のリメイク作品。
まず俺は旧作「大魔境」があまり好きではない。
というのも、秘境を探す動機でスタートしたのに、いざ秘境が見つかった後はドラえもん達が犬王国の状況に振り回されるだけになる。
F先生作品の中でも、「異世界モノ」※の難点が最も目立つ作品。
(※日常から切り離された異世界にドラえもん達がゲスト出演する感じ)
俺はアフリカの秘境には興味があるけど、犬王国には興味が出ないので、犬側メインで描かれても楽しくない。
なので、リメイクの本作は最初から期待値低め。ハードル低い状態で観た。
大筋は旧作に忠実なので、気になった点だけ列挙していく。
まず、アフリカを秘境扱いするのがポリコレ的にどうなるかと思ったが、文明社会から離れた場所を探そうと言われたのび太は「じゃあアフリカを探そう」と即答。むしろ描写が悪化している。
これはもう俺がポリコレを意識しすぎなのだろう。意識しすぎている自分が恥ずかしい。
アフリカは広いから秘境があって当然だ (?) 。
序盤、930万枚の写真から秘境を探す、国家諜報機関も引く作業量を強いられるのび太。
でもペコちゃんのおかげであっさり謎の石像を発見して拍子抜け。
旧作は魔境発見までもっと引っ張っていたような覚えがある。
発見したときの喜びを倍増させるためにも、せめて2~3日は写真をチェックしまくってウンザリなシーンを入れるべきだと思う。
ところで「緑の巨人伝」といい、わさドラののびママは可愛い動物に弱すぎる。一瞬で心奪われとるやないかい。
秘境の場所がわかったので、冒険を始めるいつもの5人+ペコちゃん。
「0点の答案を隠したい」など、各自の都合で何度も冒険に水を差されたジャイアンは不満顔。
「大魔境」で面倒なことになるのはジャイアンのせいであり、その責任を感じたジャイアンがどう立ち回るのかが見どころ。
しかしここ数作のジャイアンの印象が悪いため、不満げなジャイアンを見ると旧作と違い不愉快な気分になってしまう。
ジャイアンを貶めたわさドラの罪は重い。
せっかくだから猛獣に襲われたいといって「猛獣誘い寄せマント」をつけ、猛獣に襲われて逃げ惑うジャイアン。
何がしたいのか意味わからん。ジャイアンよ、まずマントを脱げ!
ワニやライオンの群れから道具無しで逃げるシーンもある。
ここまでやると危険度が一線を超えている気がする。誇張が過ぎるというか、リアリティがなくなるのでしらける。
ジャイアンなんてワニの口に入ったぞ。
ワニの顎の力は2000kgを超えるらしいので、そこから脱出したジャイアンは怪力すぎる。お前はハルクか。
こうして色々あった後、「ジャングルの夜は危ない」といってキャンプを張るのが笑う。いやもう昼に何度も死にかけてるやないかと。
それにしても素人声優は凄い。
端役なのに盛り上がった場面を一瞬で萎えさせる力がある。
無音でみんなが集っていくシーンは感動するが、このシーンはやはり旧作の方が凄い。
本作はスネ夫があっさり入ってくるので旧作に比べてインパクトが弱まっている。
未来の5人がやってくる場面も最大の見せ場なのに、なぜか下手な「シャラララ」の合唱がBGMで萎える。
歌が下手なのはともかく、お気楽ムードすぎて場面と合っていない。
そりゃ未来の5人が来て優勢にはなったけど、敵味方が必死で戦っている状況は変わらないのだから緊張感を削がないでほしい。
のび太がサーベル隊長を倒すのは明らかに改悪。
のび太は射撃が得意で、銃的なものを持つと覚醒する男。
覚醒すると頭のキレ&身体能力がカンストしてしまい、もはや誰にも止められない。
しかし今回は剣を持っている。道具の効果も切れた。なのにタイマンで敵一番の手練に勝つとはどういうことだ。
これではのび太がただの小学生ではない、ヒーローのようで興ざめではないか。
てか、のび太はサーベル隊長を殺してしまったのか?いいのかそれ?
そもそも、ここで戦うべきはペコだ。
のび太が戦ってしまうと、今まで何のためにペコで引っ張ってきたのかがわからない。
のび太はペコに「目をつぶってホームランを打った話」をしたのだから、ペコが追い詰められたとき目をつぶって心眼でサーベル隊長を倒すのが自然な流れだろう。
のび太が倒すと、ペコにホームランの話をした意味がなくなる。
のび太の決戦シーンに象徴されるように、本作は全体的にドラえもん達の超人的な活躍が目立ちすぎている。
猛獣に食われかけたり、軍隊を倒したり。もはや小学生らしさの欠片もない。
「ドラえもん」は主人公達が等身大の小学生だから感情移入できて面白いのに、それを5人のヒーローが活躍する戦隊モノみたいにされては困る。
のび太達を派手に動かしたい都合だけで筋書きを作っているから作品が薄っぺらい。
本作の巨神像はCGで描かれている。
この「とりあえずトゥーンレンダリング処理しました」的CGには重量感も迫力も無い。
明らかに旧作の方が見応えがあった。
旧作は、話に色々気になる部分はありながらも、巨神像のアニメーションにより作品に説得力が出て最後は丸く収まった。
だから巨神像の描写が弱いのは致命傷。
しずかちゃんの先取り約束は旧作で意味がよくわからなかったので、本作で変わっているかと思い注意深く聞いてみた。
「もし無事に帰れたら、きっと過去にさかのぼってピンチの自分達を助けに戻る」
旧作と変わってねぇー。ジレンマが解決してねぇー。
感想をまとめると、
あまり好きではない旧作に忠実。その上で、派手な新・追加要素ではない「地味な改悪」が重なり、旧作と比べて大きくマイナスがつく。
よって個人的な評価は低め。
ジャイアンの印象の悪さ:★★★★
地味に改悪度:★★★★
評価:70/100
ドラえもん のび太の宇宙英雄記:2015年
■あらすじ
テレビのヒーローに憧れるのび太は、みんなでヒーロー映画を作ろうとする。ヒーロー映画を撮影し始めたのび太達は、地球に不時着していた宇宙人に本物のヒーローと間違われ、宇宙に行くことに。本物のヒーローとなったのび太達は宇宙海賊と激戦を繰り広げる。
前作で「5人のヒーローが活躍する戦隊モノみたいにされては困る」と言ったが、今回はもう完全にヒーロー路線でいくようだ。
漫画連載スタート時には「ドラえもん版アベンジャーズ」と紹介されている。
あらすじを見て「宇宙小戦争」リメイクかと思ったら、そうではないみたい。
しかし映画の撮影とか、やっていることが似ているので導入部分から「劣化版、宇宙小戦争か…」って印象。
宇宙小戦争と比べてしまうと、何一つ勝てない。良いところが無い。
宇宙小戦争は相手がミニチュアサイズだったのでドラえもんは相対的に強くなっていたが、本作はひみつ道具により50倍強くなっている。
ドラえもん達が強い理由付けとしては、宇宙小戦争の方がひねりが効いている。
宇宙小戦争で面白かった凄腕メカニックのスネ夫や「女の強さ」を見せるしずかちゃんなど、それぞれのキャラを活かした活躍もない。みんながマントをつけて飛び回っているだけ。
総じて、よくある流れをなぞるだけの娯楽作品に徹しており、特に感想が持てない。
それが本作最大の難点だろう。つまり大人が観ると物足りない。
では子供にとってはどうか、と考えると「子供をナメてんじゃね?」と思う。
異世界に行って大暴れするだけ。かつてのF先生作品のような知的好奇心を刺激する仕掛けがない。
本当に子供が面白いと感じる作品は、大人が観ても面白いものだ。
クレヨンしんちゃん映画なんて、子供を楽しませた上でむしろ大人に響いてるじゃないか。
そういう作品は子供の心にも無意識に刺さり、大人になっても覚えている。大人になってから「あの作品は何で心に刺さっているんだろう」とふと思い出して調べる、ファンになる、オタクになる。その大人が親となり子供を劇場につれていく。
こうして文化は築かれるのではないか。
対して本作は「なんか楽しかった~」程度の感想ですぐ忘れる。
観た作品が「ドラえもん」であることすら覚えていない。
これで子供の心に刺さると思っているなら子供をナメすぎだ。
以前にも言ったように、F先生は絶対に子供をナメない。「今回はこれでええやろ」みたいな作品は一本もない。毎作、知的好奇心を刺激するネタを全力で突っ込んでいた。
だから現在30代半ばで特にドラえもん好きでもなかった俺の心に響いている。
本作のようにテーマとかひねった描写がない軽い作品もたまには良いかもしれない。しかしこれを連発するとドラえもん人気は次世代に引き継がれず途絶えてしまうだろう。
上記のようにドラえもんをヒーローものにする段階でハズれ路線。
その上でヒーローものとしても見どころがない。
本作をアベンジャーズだというなら、子供に加えてアベンジャーズもナメている。
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)を含めて、アベンジャーズがどんだけレベル高いことやってるかって話。
「正義とは、悪とは」を問う重厚なテーマが土台にあり、しっかりとした背景を持つ魅力的なキャラ達の葛藤がある。その上で派手なアクションを見せるからあの見応えなのに。
なんとなく「娯楽だからアベンジャーズ」ではなく、映画作りの土台から見習うべきだろう。
なにより一番許せないのは、スーツを着てシャワーを浴びているしずかちゃんだ。
それは反則だろ、観客への裏切りだろ。
「宇宙小戦争」リメイクで良かったんじゃね?感:★★★★
しずかちゃんの裏切り:★★★★★
評価:65/100
ドラえもん 新・のび太の日本誕生:2016年
■あらすじ
のび太は家出を決心するが、ひみつ道具の部屋を置く土地がない。その後、ドラえもん達4人も現代に嫌気が差し、5人はまだ土地が誰のものでもない「太古の日本」へ行くことにした。いったん現代へ戻った一同は原始人の少年と遭遇する。その少年は現代へ飛ばされる前、謎の集団から襲撃を受けていたという。太古の世界を守るため、ドラえもん達は太古の中国大陸へ出発する。
ついにきた、名作「日本誕生」のリメイク。
リメイクのハードルは過去最高といえる。
なぜなら、俺は「日本誕生」はF先生時代の集大成。ひとつの完成形だと思うから。
大長編らしい谷あり山ありの壮大なシナリオは、楽しさとシリアスさのバランスが良い。
その中でハニワや凍死寸前ののび太、旧石器時代の中で明らかに異質な科学力を持つ時間犯罪者ギガゾンビ様とドラゾンビ様など、おどろおどろしい印象的なシーンも盛りだくさん。
「日本誕生」より後の作品は環境問題を訴えるメッセージ性が強くなるため、「日本誕生」が娯楽作品として頂点だと思う。
リメイクはその高いハードルを見事に超えてくれた。
冒険のきっかけになる「家出」は旧作では途中でもうどうでもよくなったが、本作は子供にとっての「家出」の意味がしっかり描かれている。
途中で「家出」をぶん投げ、タイムパトロールでムリヤリ解決させた、旧作では描ききれなかったテーマを見事に表現している。
「家出」とは、大人になる過程で誰もが一度は通る儀式みたいなもの。
のびママはそれを理解し、怒るのはやめて優しく見守る。
のび太はペガサス達を見守ることで親の目線を知り成長する。
そして、のび太は自分勝手な「家出」しか考えていなかった子供の立場を超える。
こうして日常と冒険のテーマが重なり、のび太とのびママのエンディングへ綺麗につながる。
話が綺麗にまとまった一方、旧作の「この先どうなるかわからない」的なおどろおどろしさは消え失せた。
だから、旧作・リメイクでどちらが上ということはできないが、あの名作に匹敵する時点で素晴らしい作品だ。
良リメイクだった「新・鉄人兵団」と同じく、オリキャラなど蛇足なオリジナル要素がほぼ無いのも良かった。
旧作に忠実な上で家出やキメラ的ペット3匹との絆、ギガゾンビとの対決を掘り下げている。
以下、その素晴らしいリメイクの見どころを紹介。
好き勝手な生き物を作って「僕って天才」とか言っちゃうのび太。
君は今、生命倫理的に大変なことをやっているぞ。
わさドラのジャイアンはやっぱり印象が悪い。
ククルを普通に暴力で気絶させた。暴力で気絶って相当ヤバいだろ。
ギガゾンビに負けたドラえもんを「頼りにならない」と罵るのも最悪だ。
ドラゾンビがサンダー撃ちまくってるのは笑う。
ハニワ(ツチダマ)の不気味さは旧作の方が圧倒的だったが、こちらはこちらでバトルが熱い。
遭難シーンでも「家出」テーマをしっかり盛り込んでいる。で、この描写がめちゃくちゃ効いてる。
のび太の成長・ククル達との絆を両方大きく掘り下げているのが秀逸。
ギガゾンビ様の強さの秘密がわかったし、ドラゾンビとギガゾンビの対決が激熱。
1世紀の差を仲間との絆で超える結末も素敵。
最後はのび太がタイムパトロールのお姉さんにちゃんと怒られているのも良かった。
やっぱり好き勝手な生き物を作っちゃダメなんだぜ。
ドラゾンビ様の活躍:★★★★
評価:95/100
「わさドラ」になってから出来の落差が激しく、個人的評価の上下がガッタガタだ。
昇り調子かと思えば次にとんでもない外れがきたりして困っている。
特に「緑の巨人伝」から評価の軸を失ってしまい、一貫した見方ができていない。
一作ごとにスタッフが大きく入れ替わっているわけではないから、ここまで出来が上下するのは不思議。
そこで、出来がガッタガタになる理由を考えた。
わさドラは基本的にクサい。
F先生没後、クサくなる一方だった大山ドラの流れを引き継いでいる。
・ハッタリのきいた作画・演出
・のび太とペット的生物、のびママとの絆を推すお涙ちょうだい路線
このクサい特性がハマることもあればハズレることもあるのだ。
クサいだけにハズレると酷いことになるが、ハマると高い表現力を発揮する。
これが一作ごとに出来がガタつく、安定しない理由ではないだろうか。
そして「日本誕生」は上手くハマっている方の作品。
元が名作なのでスタッフは本気出してハメてきた。
じゃあ毎回ハマる作品を作ってくれって話だが、毎年作品を出す都合でそれは難しいのだろう。
ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険:2017年
■あらすじ
南極から流れてきた大氷山から、のび太は不思議なリングを見つける。氷づけにされていたリングの持ち主を探すためのび太達は10万年前の南極へ。分厚い氷の下には、謎の古代文明が広がっていた。
まずタイトルを見て面白そうだと思った。
今までにない切り口。そういえば氷の世界を舞台にした作品は無かったなと。
散々、地底や宇宙に行った後にあえての南極。現実的な舞台には逆にとんでもない仕掛けがありそうなので楽しみだ。
一方で「温暖化で南極の氷が溶ける」みたいな話なら最低点をつけようと思いつつ観た。
そんな話じゃなくて良かった。
作画クオリティが高い。線が細く繊細で、背景美術の描き込が細かい。
先が見えないような猛吹雪を堀り進むヒモ型トナカイ、氷を突き進むドリル探検車など、今までになかった描写に見応えがある。
ところで、何作か前から線画が手書き風ではなくなっている。結局、手書き表現は不評だったのだろうか。
舞台が良い、話の大筋も良い、作画も良い。
ゲストキャラが出しゃばりすぎることもなく良い塩梅。
総じて、わさドラオリジナルの中では珍しい良作といえる。
しかし、F先生作品と比べると知的好奇心を刺激する力が足りない気も。
ドラえもんがポケモンやアンパンマンなどと違うのは“知的好奇心”だと思う。
俺は子供のとき、分厚い図鑑を見れば1日中ヒマを潰せた。F先生作品の面白さはそれと似ている。
氷の下に広がる謎文明。
F先生ならこの素材をどう料理したのかなと『海底鬼岩城』から想像して比較すると本作は物足りない。
F先生なら、本作のモチーフであるクトゥルフ神話に知的好奇心で掘り進み、収拾がつかなくなって最後にドラミちゃんかタイムパトロールが出てきそうだ。
対して本作はちゃんとした大人が作った感じでまとまっている。
収拾はつく反面、中途半端。やりきった感が薄い。
中盤以降が妙にジブリ風ファンタジーに見えるのも中途半端さの要因。
話の山場で盛り上がらないのも消化不良。
のび太・ドラえもんの絆が描かれ、ドラえもんがボロボロになりながら必死で訴え続ける場面が山場。
しかし、そこに至るまでの、のび太・ドラえもんの絡みが淡白すぎる。
序盤にのび太がはぐれる場面があっさり。その後、ドラえもんは終始のび太と目が合わない。
山場までの引きが弱いため、山場をいくら盛っても盛り上がらない。
山場のシーン自体は素晴らしいだけにもったいない。
のび太・ドラえもんの絆を丹念に描けば傑作になり得た作品だと思う。
わさドラオリジナルの中で珍しい当たり作品なだけに惜しい。
・他、気になる点
謎文明に行くと、しずかちゃんより可愛いゲストキャラの女の子がのび太と見つめ合って脈絡もなく赤面する。
しかしのび太との恋愛要素は皆無。ゲストと仲良くなる流れありきで安直な演出。
評価:87/100
ドラえもん のび太の宝島:2018年
■あらすじ
「宝島を見つける」とジャイアンたちに宣言したのび太は、宝島を探すうち謎の島を発見する。島に向かったのび太たちは、海賊たちから襲われ、しずかちゃんがさらわれてしまう。
太平洋の宝島を探し、海賊が出てくるため前半は「南海大冒険」と酷似。
でも後半は違う話となっている。
本作を一言でいえば「普通の夏休み大作アニメ」。
謎の世界観で沢山のゲストキャラに囲まれて大冒険。
これまでこの手の作品に対して散々言ってきた「ドラえもん達の存在感が薄い上にヒーロー化されて感情移入できない」難点が出ているため前半からウンザリしてしまった。
のび父と喧嘩した、日常とのシンクロ要素はある。
でもあまりにも無理やりな絡ませ方なので余計に取って付けたような印象になっている。
ノリで突っ切ろうとしているが、この脚本のグダり方は大人の観賞に耐えない。
ドラえもん達は、突然襲ってきた海賊に道具を使ってノリノリでやり合う。
これがまずダメだ。
ただの小学生が、こんなに調子に乗ってガチの海賊に立ち向かわないだろ。
「まず逃げる→世界の危機を知る→勇気を振り絞って立ち向かう」
が自然な流れ。
いきなり立ち向かうから違和感がある。
しずかちゃんがさらわれる部分は「レギュラーキャラが偶然、ゲストキャラとそっくり」という、過去作でも何度か見た無理やりな仕掛けが使われている。
この、理由なく似ている現象は都合良すぎて萎える。
そもそも2人は全く似ていない。金髪だし目の色も違うじゃないか。
ゲストキャラ・セーラに似ているから拉致されたしずかちゃんは、船員みんなに事情を話して海賊船にいることを認められる。
これにより似ていること自体が無意味になった。「可愛い女の子がいたから連れてきた」で済む話だ。
ドラえもん達がゴタゴタ揉めて場がなごみ、ゲストキャラが「仕方ないなぁ~」と協力するのも不自然。
次第に、
「この明らかに超科学力を持っている海賊は何者なんだ?時間犯罪者なのか?」
と疑問が湧いてくる。
最後まで観たけど結局よくわからない。
その上で、ゲストキャラ全員、何がしたいのかわからん。
船長はなぜ海賊を率いているのか。
そして海賊たちはなぜ従っているのか。船長の個人的な思惑のために命をかけているのか?
しかし船長に人望があるようには見えない。それどころか、ずっと引きこもっているため誰も絡んでない。
後半の方舟に乗り込むあたりは、もはやドラえもん・海賊の双方が何をやっているのかわからない。
船長の目的は不明なまま。(ぼんやりと想像はできる)
ドラえもん側は、船長を止めたい、しずかちゃんを助けたい、ゲストキャラも助けたい、と色々ゴチャゴチャになっている。
最後、船長は地球に壊滅的ダメージを与えようとしたのに全くお咎めなし。
子供のプログラミングが上達して満足って、そりゃねーだろ。
子供を含め、何事もなかったように幸せに暮す気満々。
こんなことがあった後、家族3人仲良くできるかね?
このように脚本が意味不明で、わさドラオリジナルらしい駄作だと思った。
良作でもない「南海大冒険」をパクった上に劣化させてきたので、毎年制作もいよいよ限界かもしれない。
ただ、印象的なシーンはある。
山場ではドラえもんがクウラ戦の悟空みたいになる。
このシーンは、同じくノアをテーマにした「雲の王国」でドラえもんがガスタンクに突き刺さったシーンに匹敵するトラウマ。
のび太・ドラえもん・しずかの3人が抱き合って落ちるシーンは、もう「ドラえもん」とか脚本とか関係なく画だけで泣けるから卑怯だわ。てかラピュタやん。
評価:70/100
では最後に、3度目となる評価グラフで2010年代の流れを振り返ろう。
もう折れ線がガッタガタ。
一作ごとに30点上下しており、もはや法則性も何もない。
(自分の評価軸に法則性が無いとも言える)
あえて法則を見出すなら、良作・駄作が交互にきていることだろうか。
グラフをよく見れば、綺麗にジグザグしている。
「新・鉄人兵団」で上り調子の波がきたかと思ったら、次作「アニマルアドベンチャー」で突き落とされる。
かと思えば、わさドラオリジナル「ひみつ道具博物館」が期待を良い意味で裏切る傑作で、これなら次は期待できると思ったらリメイク「新・大魔境」でまた落とされる。
次の「宇宙英雄記」は子供をナメたような作品で、さらに評価を落とす。
ドラえもんもここまでか…と思ったら「新・日本誕生」「カチコチ大冒険」と傑作が2本続く。
そこで安心していたら「宝島」でコケてしまった。
「宝島」のせいで当記事が後味悪く終わってしまったのがツラい。
作品の出来がジグザグになる理由は謎。
一作ごとにスタッフを入れ替えているわけでもあるまいし。
毎年一作体制のシステムエラーが出ていると考えるしかない。
ただ出来がこれだけジグザグだと「次はもしかしたら傑作かも…」と期待してしまうため、どんな駄作を食らっても次作を観たくなる。
傑作を観た後も「次は駄作かも…」と不安になるので、やはり次作を観て確認したくなる。
「宝島」の次は傑作かもしれない。
だからドラえもんはやめられない。
まとめ
映画ドラえもん大長編の感想を書くうち、6万文字を超える大長編な記事になりました。
記事を作り始めた頃はもっと軽い内容にするつもりだったけど、作品を観れば観るほど言いたいことが増えてくる。
それほど、ドラえもんには尽きない魅力があるってことですね。
最後に「印象的だったシーン、トップ10」を発表します。
・しずかちゃんの風呂全般
・行ってあげるぅ~ (魔界大冒険)
・途中ノーマルエンド (魔界大冒険)
・リルルちゃんとの別れ (鉄人兵団)
・魔界化した現代 (パラレル西遊記)
・生命倫理の一線を超えてしまったのび太 (日本誕生)
・ピンクのもや (アニマル惑星)
・プリパリピ (雲の王国)
・捨てられたドラえもん (ブリキの迷宮)
・最強のび太 (銀河超特急)
全部、F先生時代の作品です…
F先生没後~近年の作品の中にも良いものはありました。
でも結局のところ、ドラえもん映画38作鑑賞を振り返ると「F先生作品の良さに気づく旅」だったような気がします。
1ヶ月半前、テキトーに観た作品達が愛おしい。
つい最近観たのに「あの頃は良かったなぁ~」としみじみ考えてしまうんです。
昔のドラえもん映画を観た記憶はあるけどよく覚えていない、あるいはまだ観ていない方。
最高のコンテンツは意外と目の前に転がっています。ぜひ全作品追いかけてみてください。
追記
STAND BY ME ドラえもん:2014年
STAND BY ME ドラえもん 2:2020年
ドラえもん のび太の月面探査記:2019年
月は冒険の舞台として申し分ない。
SFチックでワクワクするぜ。
実際観ると、こりゃダメだ。『奇跡の島』に匹敵する駄作。
わさドラオリジナルの悪いところ全部乗せ。
いかにもなオリキャラが登場し、とってつけような異世界に行くだけ。
ポケモントレーナーに寄せすぎたルカ君が登場し、お菓子の国みたいなわけわからん世界へ。
途中からマジで何を観ているのかわからなくなる。
最後、他人の記憶を勝手に消し、ゲストキャラを人間にするのは倫理的にどうかと思う。
根本的に「月=うさぎ風キャラの世界」にしたのがダメだと思う。
そっちじゃねーだろって。
F先生なら『2001年宇宙の旅』やアポロ11号陰謀説を踏襲しつつ、
人面岩が動き出したり、失われた文明の核ミサイル基地や、別惑星へワープするモノリスを置いたりするだろう。
そういうワクワクが、わさドラ制作陣には全く期待できない。
外見を変えただけの駄作焼き直しを続けるなら毎年作らなくて良いのに。
ドラえもん のび太の新恐竜:2020年
ドラえもん映画の初作『恐竜』のリメイクのリメイク、というかリブートにあたる。
わさドラの特徴は大まかに次の2つ。
・のび太達がゲストキャラの世界へ行く異世界モノ
・可愛いキャラが登場する“かわいいポルノ”
本作は後者があからさまで、子供恐竜の可愛いアピールがくどい。キューキューうるさい。
F先生時代のドラえもん映画は、子供時代に科学大百科を広げたときのワクワク感があった。
それこそドラえもんの醍醐味だと思う。
2020年になるとワクワク感が完全に抜け落ち、可愛さゴリ押しのポルノと化している。
ドラえもん要素を抜きにしてただの子供向けアニメとして楽しむのも難しい。
妙に平面的なCG恐竜は作画の面白味が無い。
子供恐竜を丹念に描いて、肝心の恐竜で手を抜いてどーすんだと。
テキトーな世界観のオリキャラも相変わらず。
子供恐竜にタケコプターをつけて無理やり飛ばせて「飛ぶ練習♪」と上機嫌なのび太に引く。
俺のパピヨンちゃんに同じことしたら許さんぞのび太。
のび太が説教臭いのも引く。
不甲斐ない自分を他人に投影すな。
タイムパラドックスもツッコミどころ満載。もはやツッコむ気にならない。
『宝島』から本作まで駄作3連発。
過去に2連はあったが3連は初。現体制のドラえもん映画は限界だと思う。